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その頃,まだ水上勉の小説を読もうとなど思いもしなかった。昭和の終わりから平成の初めにかけて,自分にとってあまり面白いと思える小説が刊行されなくなった。矢作俊彦は『スズキさん…』刊行までコラムでつないでいた印象があり,北杜夫や辻邦生の旧作を読む時間も短くなった。江戸川乱歩や内田百閒を読み返しながら凌いでいたような気がする。

上司から,高橋和己や水上勉と言われても,だからどこかピンとくることはなかった。本はずっと好きだったけれど,当時は,ここ数年に比べると驚くほど冊数を読んでいない。学生時代には夏休みに1日1冊読むことにして,暇を見つけては古本屋に通ったものだけれど,それから数年を経て,結果,好きな小説が絞られただけだった。好きな文体を暗記するほど読み,それ以外の文体は受け付けないというような具合に。

2000年を過ぎ40代に入ってから,ようやく読む冊数が増えた。文体へのこだわりが薄れ,好きな小説は暗記するくらいに読み返すという習癖から解放された。文体への嗜癖は今もあるけれど,全体,文体がここまで変わってしまっては,こだわりだけでは読む本が見つからない。

その頃,まとめて開高健の小説,エッセイを読んだ。好きなのは文体だけれど,矢作俊彦の文体をあこがれたのとは受け取り方が変わった。それがきっかけになって,結城昌治や三好徹,半村良などを読むようになったのはせいぜいここ7,8年のこと。水上勉も,この流れで手にしたはずだ。

上司が亡くなった年齢を遥かに越えてしまったにもかかわらず,私より年上のイメージはいまだに覆らない。大人になってたぶん,初めて知人の死に接したのは上司のときだった。以来,両親を含め,見送る人が年々多くなる。

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