Letters

午前中から横須賀で打ち合わせのため,出社早々駅に戻る。東京駅で東海道線に乗り換え,品川で京急線に移動。金沢八景で各駅に乗り換えて,ようやく目的の駅に到着した。1時間半以上かかったことになる。改札を出て,緩い坂を海に向かって下る。一塊の雲に冷たい風が強い。途中,ファミレスで昼食を取りながら打ち合わせが終わったのは16時前。向かい風のなか,駅まで戻り,会社に着いたのは17時半を過ぎていた。

徹と最後に会ったのは10年ほど前のことだ(ということは,一連のポストのどこかにそのことを記したかもしれない)。その前の数年は学生時代の友人同士,音信不通になっていた時期なので,そのとき久しぶりに会ったのは徹だけではない。喬史や伸浩,和之とだって数年ぶりだった気がする。それは昌己の結婚を祝う会だった。

もともと結婚式をあげるつもりがなかった昌己が式に呼んだ列席者は,バレーボールの試合はできてもサッカーはできないくらいの人数だった。当時は「その前の数年」だったから,学生時代の友人すべてと連絡を取り合っていなかったし,すべて呼んだとすれば,セッティングは変わっていただろう。その場に,学生時代の友人がすべて顔を揃えたわけでなかった理由を数えてみてもしかたのないことだ。

10年ほど前に集まったとき,徹はそのことにへそを曲げた。学生の頃から,1人が腹を立てると,よってたかって腹を立てたことを詰るようなやりとりが常だったので,しばらくぶりで仲間の1人が腹を立てたとき,即座に皆が「なにふくれているんだ,ふざけんなよ」と徹に反応した。もちろんシャレだし,今さら腹をたててどうなんだ? くらいの気分なのだ。学生のころは,それでおさまった,というよりも気持ちを引きずることはなかった。時間が経ったからなんだろうか,その日,最後まで徹の腹の虫はおさまらなかったようだ。

われわれは再び集まり飲むようになった。徹とは連絡がつかなくなった。伸浩から徹のアパートの住所を聞き,連絡をとろうとしたこともあったけれど,どうもタイミングが見つからなかった。

年明け,10年前の集まりに唯一参加した女性の友だちが,徹に年賀状を出したところ返事があった。住所は確認した。徹に手紙を出してみようと思った。年末に飲んだとき,喬史が何やら仕事なるものを画策している話を聞いた。タイミングはよろしい。手紙の要旨は次のようなものだ。

「新しい仕事をしようと思うので,学生時代の友人に集まってほしいと喬史から連絡があったんだ。ついては徹も来てくれないか」

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