白い病気

ケストナーが『どうぶつ会議』を発表したのは1949年のことだと知り,どこかで「白い病気」を参考にしたのではないかと感じた。どちらも平和を実現するための手段自体に目をつむる。初手から拙劣とわかる手段に対し,ここぞとばかりに「テロじゃないか」などと,ばかげた意見の書き込みを目にしたこともある。

中盤から後半にかけて物語の中心を担う元帥と軍需産業経営者・クリューク男爵の「現実的な」思考は,私たちの世代にとってはとても懐かしいものだ。同様に,平和のためには手段を問わないというガレーンのキャラクターは同じ頃,散々,批判を受けててきた思考だ。大森博史が演じる父親と子どもたち,母親とのやりとりには何一つ,その場面を切り取って示す斬新さはない。

懐かしく,わかりやすいのは,登場人物それぞれが,国民のために,家族のために,何かのためという一人称の思考から逃れられないからだろう。「何かのために」とは,滅私などでは決してなく,単なる唯我だ。

しかし,わかりやすい場に白い病気が加わると,これまで遭遇することがなかった体験のうちに,登場人物たちは,それぞれが思考実験せざるを得なくなる。舞台では,彼らが次々に白い病気に罹る。平和の実現を最優先するガレーンはクリニックを開き,そこでは貧しい人しか治療しない。この時代,裕福な層は何らかのかたちで需産業をかかわっているという設定だ。

元帥を信奉する父親は,ライバルが白い病気で命を落とすことにより経理部長の椅子を得る。これからは高額の給料取りだ。妻とそのよろこびを分かち合う日に,妻が白い病気に罹っていることがわかる。

白い病気に罹ったクリューク男爵は変装し,貧しい者であると偽り,ガレーンのもとを訪れる。

彼らが治療を求めてガレーンを訪ねても,彼は平和のための条件を示し,裕福=戦争に加担することを止めない患者はそれぞれ苦悩する。父親は,妻の治療と引き換えに,経理部長の座から離れることを提案されるが受け入れられない。元帥とのやりとりのなかで,治療の道を絶たれたクリューク男爵は自死の道を選ぶ。

このあたりの展開は悲劇そのもので,観劇の醍醐味を感じながら,あっという間に時間が過ぎていった。

白い病気に罹った元帥は,前線陥落の報告を前に,娘とそのつれあいの説得され,侵攻からの撤退と平和への道を歩むことを決める。ガレーンに治療を依頼する。その直前,元帥が「いま,ここで撤退したならば国内が内戦状態に陥るに違いない。それだけは避けねば」と説明する場面がある。本心でそう思っているのか,そうとでも思わなければ権力の座にのぼれないのかわからないけれど,どこかの国のトップを見ているようでゾッとしてしまった。

原作にある台詞なのかわからない(原作を調達中)。ただ,現在,「白い病気」をかける意図の1つは,そしてこの戯曲に古さを感じないのは,この台詞に込められたリアリティにあったのかもしれない。

ガレーンは元帥のもとに向かう途中,町中で「戦争バンザイ」をコールする一群と遭遇してしまう。彼らの間をすり抜けようとしながら,思わず,世界平和を唱えてしまう。そして,彼らに取り囲まれ暴行を受け死亡する。治療薬は砕け散る。登場人物は,それぞれの「ために」を生き,しかし「ともに」生きることはない。

対話による状況の変化,テンポのよい場面展開を目の前に,面白かったに続く言葉が見つからない,演劇を堪能した2時間20分だった。

1930年代後半に書かれたこの戯曲のテーマが「反戦」にあることは間違いない。戦後のケストナーを含め,平和のために手段を択ばない,そのことに異を唱えていったい何になるのだろう。戦争の悲惨さから産まれざるを得なかった作品を読み,演劇を見て,そう感じない理由はどこにもあるまい。

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