池袋

ネットで検索すると,揃いも揃って出所が同じ文献だろうと思われる表現に遭遇。歴史的経緯を紹介され始めた時期が微妙だ。大正時代に善意のみで物事を進めたとは思えない。データ元をたどると,妙なサイトにつながってしまう。しかたないので,書店で本を捲ってチェックできることは済ませてしまおうと思った。19時前に会社を出て,池袋で降りる。

ここで間に合うならそれに越したことはない。三省堂書店の人文系,歴史書あたりの棚を眺めたものの,想像以上に冊数が少ない。背のタイトルから,記述のあたりをつけるより前に棚が終わってしまう。さっさと出ようと思い,ぐるりを眺めると,スピリチュアル系の本がやたらと並んでいる。それもかなりの量だ。ニーズがあるのだろうなとは思うものの,嫌な予感しか湧いてこない。

一時,雨は止んでいたので,傘をささずに明治通りを渡る。ジュンク堂書店をエスカレーターで上がっていく。三省堂書店に比べ,圧倒的にあたりをつけられそうなタイトルが並んでいる。ネットで検索した10年前の本があったので,ページを捲る。事実関係はここでも同じ表現にとどまっている。どうも胡散臭い。子ども向けに書かれた本もあるというので,さらに上階まで行ったものの,その本は見当たらなかった。同じ時代に関する文庫,新書をチェックした後(やはり歴史的事実に対する評価は筆者によってかなり異なる),1階まで下り,新刊やフェアに集められた本を見て店を出た。

再び雨が降り始めていたので,傘をさして明治通りを渡る。三省堂書店から地下通路をくぐって,西武百貨店の食料品売り場を突っ切ろうとしたところ,入ってすぐに置かれた休憩用椅子にグレイの上下で揃え,白髪まじり長めの髪の毛をそのままにした初老の婦人がすわっていた。

昔から池袋には有名な路上生活者がいる。とんねるずあたりが吹聴した「池袋の主」をはじめて見たのは80年代のなかば頃のことだった。一時,「主」(省略されてそう呼ばれていた)は有名になったようで,池袋の連絡通路でときどき「あ,主だ」という声を聞いたことがある。

最近,気になるのが,グレイの婦人だ。初めて遭遇したのは新装された東武百貨店の南館地下,食料品売り場にパン・ケーキ店が並ぶなか,1か所に留まっているガードマンが目についたからだ。しばらくすると,場所を変え,また止まる。その繰り返し。ガードマンがさりげなく,しかし露骨にチェックしていたのが,そのグレイの婦人だ。パッと見には,いかにもデパートで買い物しそうなグレイの上下を着ている。ただ,スカートから伸びた脚が異常なほどの細さで,また,手をからだの前で細かく動かしながら,店の前をただ歩く。ときどき止まるがまた歩き出す。その佇まいが景色から浮いてしまう。

まだ寒い数か月前,家内,娘と一緒にいたときにはじめて遭遇した。家内も気になった様子で,身なりがきちんと見えるからだろうか,保護する必要があるかどうか警察に声をかけてこようかしらという。デパートのガードマンが店員と連絡をとりながらチェックしているということは,このときがはじめての来店ではないのかもしれないと思った。そんなことを考えているうちに,その婦人の姿は見えなくなり,ガードマンが店の奥に戻っていく姿だけが映った。

しばらく後,同じ場所でグレイの婦人に遭遇したことがある。そのときは私ひとり,急いでいたので,どのような様子だったか覚えていない。そして昨日だ。視線のもとにある後ろめたさのような感覚は,原田正純の問いを反芻してしまうためなのだろう。

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