気配

午後から少し雨が降り,止んだと思って傘をもたずに20時過ぎ,会社を出る。駅前の書店で,武田砂鉄『日本の気配』(晶文社)を買う。止むかと思った雨は降り続く。下落合で降りるのをあきらめ,中井で降り,駅前のコンビニでビニール傘を買い,差して帰る。OS X Tigerが届いていたので夕飯を取った後,インストール。USBメモリーからTenFourFoxの圧縮データをコピー,解凍して立ち上げるが「このバージョンでは使用できません」の警告。アップデートをかけて,無事,Webがみられるようになった。という経過は別のタブで後日更新。

『日本の気配』は,まだ数十ページを読んだだけにもかかわらず,いろいろと考えながらページを捲るので,時間がかかる。

冒頭のマンションの2階と3階住民の諍いは,どちらも日本語で言い争う前提がなくなったとき,どんな状況に陥るか考えながら読んだ。ヘイトスピーチに続くくだりで思い出したのは竹内敏晴さんの「自由」についての発言。これは斉藤貴男の本を読んだときにも同じように感じた。

とともに「便利さ」「スムーズさ」にまつわるあれこれについて記憶をたどってみた。つまりは養老律令の昔から,病気や障害をもったものは租税・兵役を免れる,つまりは役に立たないものは使わない,という長い長いこの国の歴史がたどり着いた先ではないか,とため息を吐いてしまう。そこに外国人(の一部)が加わったという図式だ。

病気や障害をもった人,外国人を使うと,どのようなことが起き得るかといえば,「スムーズに事が運ばなくなる」であろうことは想像に難くない。人が同じ空間を占めた途端,さまざまな違いが露わになる。その違いをがまんするだけの社会的成熟性をもつことができず,共通のコードをつくり,その前提でものごとのスムーズな成り立ちが保証されるような,妙な世の中になだれ込んでしまった気がしてならない。初手から共通のコードに面白さのかけらもないものだから,スムーズさという価値観だけは独り歩きし,あげく殺伐とした様相を呈してくるのだ。

自由

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