ビッグ・スヌーズ

雨が強くなったり,少しおさまったり。20時過ぎに会社を出て,駅前のBooksアイ茗荷谷店で「新潮」6月号を購入。矢作俊彦「ビッグ・スヌーズ」第5回を読みながら帰った。

この間,auのポイントが貯まるとデジタル野性時代をダウンロードして,「ルッキン・フォー・ビューティ」第4回までを読み終えた。連載が始まったとき,第1回(第2回までかもしれない)掲載号を娘に頼んでiPhoneにダウンロードしてもらった。その頃,私はiPhoneはおろか,電話以外でガラケーを使う習慣を持ち合わせてはいなかった。出だしこそ,新たに書き起こしたものだったが,そのうちに,「チャイナマンズ・チャンス」の流れになった。その後,どうなったのか気になったものの,結局,続きを読むことなく,これまでいたのだ。

物語の時間として,「ルッキン・フォー・ビューティ」は「THE WRONG GOODBYE―ロング・グッドバイ」の後日談であることを示唆するセリフがあるので,2000年前後だろう。これは「チャイナマンズ・チャンス」も当初,同様だった。その後の『フィルムノワール』は東日本大震災前のはず。「ビッグ・スヌーズ」は東日本大震災後の話のようだ。

「ルッキン・フォー・ビューティ」を「チャイナマンズ・チャンス」(前半)の焼き直しのようにとだけ考えていたものの,焼き直そうにも「チャイナマンズ・チャンス」は途中から二村が二村としては登場しなくなる。あたりまえだが,「ルッキン・フォー・ビューティ」にはオリジナルの原稿がたくさんあり(苦笑),「ビッグ・スヌーズ」ではじめて元町を歩く二村の場面が描かれたように勘違いしていたが,こちらですでに描かれていた(追記:「陽のあたる大通り」で,それより遥か前に描かれていた)。残り8回分を今更ながらだけれど,たのしみに読み進めていくことにする。

「ビッグ・スヌーズ」は好調。警視庁所属とはいえ,細飼(「細貝」は連作「さまよう薔薇のように」のサブキャラクター。矢作俊彦のエッセイにも登場するからモデルがいるのだろう)というコールマン髭の登場人物も加わり,今後の展開をしてしまう。

この間,『引擎/ENGINE』のはじめあたりを読み返しながら,きれいなたとえすぎだけれど,矢作俊彦は,自ら書いた小説を「カットの集合」と記憶していて,つまり撮影を終えたフィルムを編集するように,同じ場面を繰り返し使い,頭のなかにある小説に近づけようとしているのではないかと。

「So Long」連載時,巨大掲示板に「自分の小説を素材に,『あ・じゃ・ぱん』の手法でまとめるのか!」という趣旨の書き込みを見た記憶がある。当時は,「So Long」のOCR入稿とたとえるのが相応しい粗い校正のままの掲載にあきれていたので,「よい方にとらえすぎだ」と感じたのだけれど。(加筆予定)

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