My Friends

金曜日は,18時半くらいに仕事を終え,上野まで。探偵となった喬史に声をかけ,徹,昌己,伸浩とビリヤニを肴に飲んだ。22時くらいに終わり,昌己と山手線,西武新宿線を乗り継いで帰る。

喬史は地元の一等地のビルに事務所を借り,内装を終え,後は電話線の開通待ちまで辿り着いた。地元誌に広告を年間出稿し,最後は仕事を待つばかり。

50前後になってから,こ奴らと飲む機会が増えたものの,前回,数年ぶりに徹が加わってから,一気に話が学生時代に戻ったような雰囲気になってきた。昔ばなしではなく,昔と同じことを今のセッティングで行なっているという意味では徹の影響は大きい。本人はそんなこと,微塵も感じているまいが。

違う意味で伸浩も変わらないのだけれど,伸浩は時間が止まったままのような変わらなさなのだ。

情けないほど懐かしくなったのは,徹と昌己がチカチーロについて書かれた本について話していたところに,喬史が「チカチーロも載ってるんか」とやけに反応したところだ。まったく違う生活をしていて,卒業後30年を経てなお,スッとポイントを共有してしまう。昔から,「まったく情けねえなあ」といいながらも,それがたのしいものだから,みな,固有名詞を連発して,お互いの記憶との接点を探っていたのだ。どうしたわけか,違う体験のなかで共有できる固有名詞が本当に多かったので,その後,固有名詞で話していくのが習慣になってしまった。

とはいえ,それで通用する場はほとんどない。社会に出てから,そのほうがあたりまえなのだと知らされるのだけれど,30年を経て,こ奴らとの会話では固有名詞が通用してしまう。そのことに少し感動してしまった。チカチーロで感動するのはどうかと思うものの。

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