銭湯の女神


父だけが一人,青竹を手にとり,何か感慨深そうに眺めていた。
「これ,型を作るのは大変なんだ」と父がつぶやいた。
「これが100円だったら,型を作った奴には一体いくら入るんだろう?」
星野博美『銭湯の女神』(文春文庫)

100円ショップでプラスチック製の健康青竹を買い,実家に持ち帰ると,著者の父親はぽつりと言った。

学生の夏休み,母親が突然,私のアルバイトを決めてきてしまった。実家から自転車で20分ほどのところにあるプラスチック加工会社だ。原材料を攪拌機に入れ,そこに塗料を加える。原材料が一袋20~30kgはあるもので,これを毎日,いくつもいくつも倉庫からもってきてはひたすら攪拌機に詰め込む。一日終わると,耳や鼻に塗料の粉がこびりついている。子どもの頃,外で遊んで帰ってくると,親から耳やら鼻たらをタオルでゴシゴシと拭われたときのようなものだ。

その仕事がないときは,型のせいか工程のためなのかわからないが,できあがったプラスチックのヤレを鉋で削る作業。ほとんどは工程上の問題で,それ以外は型のできが悪いのではなく,設計上のミスや変更によるものだった。ひと夏の契約だったから勤まったに違いない。それは大変な仕事だった。休み前の体育のソフトボールでは,南海の門田よろしく,ふらっとしたバットさばきで,ヒットを続けていたのに,このバイトで付いた筋肉のために,門田打法のバランスが崩れてしまった。秋から試合ではまったくヒットが出なくなった。

門田を思い出したのではなくて,型づくりは職人の技能が出来を左右するものだったということを思い出した。

技能が分解され,職人でなくとも似たようなものをつくりあげることができるようになる。職人はより〈高度〉な技能を生み出す時間が確保できる。そのメリットがたとえ本当にあったとしても,現実に起きるのは,その技術が広がり,コストが安くなることだろう。

これが100円だったら,型を作った奴には一体いくら入るんだろう?」,これは同じ専門職だから発することができる一言に違いない。いまだ彼は技術に対する誇りを抱えているのだ。

ところが,安価になった技術を手放した専門職は,得てして「あんなこと誰でもできる」と驕りはじめる。

この場合,「誇り」と「驕り」は紙一重だ。どちらに向かうかは,結局のところ,自分が何の専門職であるか,そのアイデンティティー次第に違いない。ただ,困ったことに私は,その点をして「驕り」を叩き,「誇り」を持ち上げることはしたくないのだ。

と,書きながら,昔,「銭湯の女神」についても,母親が決めてきたバイトについて,書いた記憶が蘇ってきた。

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