タイトルはない

西のほうでは大雨のため,大変なことになっているとネットニュースで知る。風が強く,雨も降る一日。

ときどき別の仕事を片づけながら,エクセルの欧文索引に和訳を入れる作業がどうにか終わった。家内から連絡があったので,待ち合わせて夕飯を食べることにした。

19時前に会社を出て,中井まで行く。伊野尾書店で,倉橋耕平『歴史修正主義とサブカルチャー』(青弓社)を買って下落合に戻る。久しぶりに彩に入る。夕飯を食べ終え,家に帰ると少しして娘が戻ってきた。テーブルでレポートの続きを書いているようだ。

寝ようとして布団の横,山になっている本の下から1984年の日記が出てきて,しばらく捲っていた。一月のうち,いったいどれくらい徹と飯を食ったり古本屋に行ったり,映画にでかけたりしているのだろうと他人事のように感心してしまった。喬史にしても昌己にしても,何を話していたのかまったく覚えていないのに,よくもまあ飽きずに同じ時間を過ごしたものだ,と。

ここから2年くらいの体験が,たぶんその後の自分をつくっているのだろうけれど,それにしても,ほんと感心する。他に友人を選択する余地,いやい友人を選ぶなんてことは考えもしなかった。こ奴らしかいなかったのだ。それをまあ,奇跡といってもいいや。

開高健の『今日は昨日の明日』を捲りながら,あれこれ考える。

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