30年

金曜日に小滝橋通りで飲もうということになり,昌己や伸浩,徹に連絡をした。この歳になると都合にもいろいろある。伸浩の話を聞こうと思いセッティングしたはよいが,元々,自分の家のことはあまり話さず,たとえ話したとしてもとてもわかりづらくしか説明できない奴だ。まあ,それでよいのだけれど。

2日くらい遅れて,徹からメールが届いた。闘病中だったお父さんが亡くなったとのこと。学生時代よりも就職してから数年,他にたのしみがなかったので週末に集まってばかりいた時期,何度か夜に徹の家で会ったことがある。逸話には事欠かない。

友人たちに連絡をした。用事は入っていない私と,用事を調整した昌己が通夜に参列することになった。急遽,クリーニングに出した礼服の仕上がり時間が読めなかったので,時間を決めて待ち合わせることはしなかった。とりあえず現地集合ということだ。

通夜の日。15時にクリーニングを引き取りに行き,家で着替えて八王子まで向かった。横浜線に乗り換え,駅に着いたのは17時前だった。エスカレータを上り改札に向かうところで昌己を見つけた。時間を決めなくても,だいたい同じように着いてしまう。まったくの偶然だけれど,ふと改札あたりでぐるりと眺めてしまったのは,こんな偶然がしばしば起こるからだ。

18時まで時間があったので,喫茶店で時間を潰してから寺まで歩く。このあたりはその頃,冬になるとネコさえ凍死するくらいの寒さで,文字通り何もなかった。一帯がうそのように小奇麗に再開発されてしばらく経つ。ピカピカだったはずの未来は,30年経つと等しく劣化している。30年とは,それくらいのスパンなのだろう。10分ほど歩き,受付を済ませてから,式が始まるタイミングで受付を昌己と2人で交代した。少し遅れて精進落としをいただきながら,結局,徹の近しい親戚,ご住職と散会まで話してしまった。

来た道を戻りながら,昌己とくだらない話に終始する。北のほうに稲光が何度も見えた。中央線は吉祥寺まで各駅という悠長さ。荻窪で別れ,私は新宿経由で家に戻った。

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