核P-MODEL

1990年くらいのインタビューでの平沢進の発言を覚えている。インタビュアーが渋谷公会堂でのライブで,「フィッシュソング」を歌う平沢が気持ちよさそうだったと言ったのに続けて,客席上のミラーボールを見ながら一瞬,気持ちよくなってしまいそうになったものの,「いかん」と思いとどまった,そんな趣旨だったはずだ。

データでのライブがほとんどになって以後,インタビュアーがそんなふうに言うことはなくなり,平沢自身,ライブは段取りを見せることだと言うようになる。

P-MODELのライブでメンバーが気持ちよさそうに演奏する姿を見た記憶はない。ソロになってから音色が賑やかになったことよりも,友田真吾や高橋ボブがたのしそうに演奏する姿に,だからずっと違和感があった。もちろん,そこにはフュージョンバンドのメンバーを集めて筋肉少女帯のナンバーを演奏させた大槻ケンヂのある種の批評性はみじんもなかった。ただただ,たのしいのだろうなという感じが伝わってきて,平沢のバックバンドとはいえ,そんな姿を見せられることは,P-MODELの記憶が失せていないフロアの客にとっては迷惑だったのではないかと,今もそう思う。

核P-MODELのチケットがとれた。去年の平沢ソロと同じく昌己とともにZepp東京まで観に出かけた。われわれにとっては解凍P-MODELの渋谷公会堂,もしくは年末のI3デイズ以来,四半世紀ぶりの,とりあえず“P-MODEL”と冠されたユニットのライブだ。私に限っていうと,改訂P-MODELのお披露目ライブのとき,日比谷野音を通りかかったものの,しばらく漏れてくる音を聴くために立ち止っただけで,中に入ることはしなかった。それ以来になる。

「いまわし電話」から始まったライブで,平沢は本調子でないようにみえた。終始ギターを抱え,曲の段取りをあわただしくたどる姿は,しかし,ああP-MODELのライブだな,これは,という感じがした。

サポート会人2人の役割は,解凍P-MODELの初っ端,「ゼブラ」の間奏で,自分以外,ステージ上を動くメンバーがいないときに感じたであろう違和感の緩衝役なのだろう。と勝手に想像しながらステージを観る。

その意味では十分役割を果たしていたものの,被り物でキーボードやベース,ギターを弾く姿からは「巧さ」がまず,前面に出てしまう。結果,それはステージ上にある種の「余裕」のようなものをばら撒く。

余裕なさげに,慌ただしい平沢に結局,P-MODELの核は染みついているのだなあと思った。サポートはあくまでサポートであって,それ以上でも以下でもない。(つづきます)

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