I’m losing you

会社を定時であがり,久米君と一緒に,年明け亡くなった彼の家を訪問。

ひばりヶ丘を降り,以前,義父の家があった場所と通りを隔てた反対側,ほとんど対称的な場所に彼の家はあった。7年近く同じ職場にいたにもかかわらず知らなかった。エレベーターで家があるフロアまで上がり,チャイムを鳴らす。犬の鳴き声。彼のお母さんが出迎えてくれる。

彼の部屋に通された。壁3面に貼られた写真は幼少の頃から最近のものまで,仕事場とはまったく異なった彼の姿が映る。全体を眺めるだけで涙腺が緩んでしまう。

彼のお父さんは毎日,この部屋に座り,ビールを飲みながら涙を流しているという。亡くなってから40日あまり,いまだ実感が湧かない。なんだか夢を見ているんじゃないかと思うんですよ。お母さんの言葉に頷くしかない。

寒い日に暖房で部屋を暖めてくださっていたからだろう。1枚の写真が壁から剥がれる。

仕事から帰ってこられたお父さんも交えて,小一時間,あれこれと話を伺った。

帰りの道で久米君が「いましたね」という。彼があの部屋にいたというのだ。心霊現象を本で読むのは嫌いではないが,生まれてから心霊現象に遭遇した体験は持ち合わせていない。これは自慢しているのだけれど。久米君はそのあたり鋭いと自ら言うものの,引っ張り戻せるわけでもなく,ただやっかいなだけだなあと思った。

失ったものは還らない。還るものなら還ってきてほしいと思うところまでは,たとえ同じだとしても。まるで,GEZANの「待夢」じゃないか。

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