分断

土曜日は午後から編集会議。午前中に会社へ行き,簡単な準備を済ませた。昼前に出て,広尾まで。1時間の会議とその後,3時間の会議。17時半くらいに渋谷に戻る。古書サンエーの均一で3冊くらいピックアップし,マークシティー5階のロビーラウンジで家内,娘と待ち合わせ。買い物に少し付き合い,近くの地下にあるイタリアンで夕飯。

日曜日は夕方から高円寺で弟と待ち合わせ。午後に何本か連絡を入れる必要が出てきたので,少しだけ事務所に寄り,高円寺に向かう。

palからルックを歩き,水道橋博士の店へ案内する。夕飯の店を探しながら,駅に戻り,いくつかの商店街をほぼ回った。店がなかなか決まらず,18時前にようやく播磨鳥の店に入った。

弟が日本を出たのは1991年だと言われ,そこから1994年までの時系列がかなりすっきりしてきた。ミラノからロンドン,テルアビブ,ロサンジェルス,ニューヨークに住んで16年になるのだという。

ホテルの日本料理店を任され,昨年くらいから,ニューヨークで新規オープンする店のコンサルテーションも始めたという話を聞きながら,あれこれと考えた。

土曜日の編集会議でも,仕事の細分化(移譲)について(結論が出ないまま,あれこれ考えた)話題があり,弟の話でも仕事を細分化して管理する流れに,いきおい話は進む。人件費と働き手の人数の関係から移民,留学生を戦力にする。料理一品をひとりでつくりあげるために必要な,最初から最後までの手順があるとすると,移民,留学生には,たとえばジャガイモの皮剥きならばそれだけを任せる。原材料と固定費(人件費など)を計算して,利益を確保して定価を設定していく,ということをやっているのだ。

で,手順を細分化して,それだけを行なう役割をつくってしまうと管理しやすい。管理しやすさから言うと,これは正論だ。ただ,手順を技術としてとらえたとき,技術が技術者の手から離れ,単に管理される断片にされてしまっていることを技術者自身,問題とみるような見方が立ち現れず,結局,絡め取られてしまうことになりはしないか。大塚英志の『手塚治虫と戦時下メディア理論 文化工作・記録映画・機械芸術』 (星海社新書)の第6章「空想から機械へ」を読むと,技術論論争,特に戦後,武谷三男がなぜ「意識的適用説」を打ち出すことになったかよくわかる。

問題なのは,技術者自身が技術を細分化することで,技術者としてのアイデンティティを組織管理者としてのものにすり替えてしまうことだろう。分断された技術の質を一定水準以上に維持・向上するための技術論がそこには決定的に不足している。

たとえば弟の話を聞きながら,その部分的な作業であるジャガイモの皮剥きを,弟自身が行なったときとアルバイトが行なったときの差を,それぞれが労働対価として得ている賃金で評価することしかできない。ジャガイモの皮剥きについて,弟の技術が優れているという評価をする基準が生まれない。仮に基準ができたとしても,基準は省みられない。反対に,日々,ジャガイモの皮剥きのみ行なっているアルバイトのほうが弟より技術的には優れているかもしれない。弟はじゃがいもの皮剥きの技術を高めるための訓練をどのように行なっているのだろうか。

高級な料理を注文されたとき,弟がつくるのと,アルバイトもしくは少ない経験の者がつくるのとでは,弟の面子はさておき,技術と対価の関係はもしかするとおかしなことになっているかもしれない。

利益をあげるために,これだけの価格のものが,毎日,これくらい消費されなければ,この場は維持できず,従業員の生活は成り立たない。これはしかたないことなのだ。そうしたロジックから逃れる術はないのだろうか。

移民はこれまで,もっと劣悪な環境で生活せざるを得なかった。生活のベースが(狭義の)市民とは違い,ジャガイモの皮むきで満足なのだ,という意味のことを弟は言う。向上心はないのだ,と。料理人という技術者がこう口にしてしまうことに何らかの衒いを感じないとしたら,それは退化だろう。技術をその程度のものとして見下しているだけだろう,と突かれても返事のしようがあるまい。

酒が入っていたので,堂々巡りになってしまったが,それはおかしいだろうと,何回も繰り返した。私の仕事の関係で,医療をたとえにしたものの,たぶん通じはしなかったのだろうなと,妙な確信はある。仮に「旨いものを食べてもらいたい」にプライオリティを置いていたら,生活していけないんだと開き直られたとき,どう答えればよかったのだろう。正直,そちらの問いを聞きたかった。

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