週明けから仕事で雑務を済ませると,メールが入り,SMS,電話で予定が埋まっていく。TO DOリストを貼っていくと,セルが埋まり全体が把握できなくなってくるような按配だ。
大塚英志の新書を読み終え,ルブランの『813』をワンショルダーに詰め通勤。
流れを細分化して管理することと,細かなものが積み重なって全体が見えなくなること,どちらも主眼がコントロール(の有無)に行きついてしまうので,気分が沈む。コントロール自体が面白いわけはない。
場の自律性を外側から,もしくは上位から絡め取ろうとするような動きが苦手,それも非道く苦手だ。ところが,こと仕事に関しては,場の自律性など初手から望みようがない混沌の上に立っていることを実感する。混沌に救われることもあれば掬われることもある。まあ,掬われることのほうが圧倒的に多い。
矢作俊彦・司城志朗『暗闇にノーサイド』には,主人公がポルポト派に拘束され,狭い牢獄に監禁,その後,閉所恐怖症になる描写がある。これを読んで以降,疑似閉所恐怖症になった読者がいるという。『ドグラ・マグラ』を読み終えた後,気が狂れた読者よりは多いに違いない。どちらも噂とはいえ 。望月三起也の『優しい鷲JJ』だったかにも,狭い牢獄に監禁される拷問描写があったはずだ。
閉所恐怖症とは,拘束への恐怖に通じるところがある。20年以上前,「拘束しない医療」が喧々されたものの,一時のブームよろしくあっという間に沈下した。ここ数年,「拘束しない医療」に再び光が当たるようになった。医療者がときどき拘束を受けてみれば,自由を奪われることがどれほどのつらさかわかるだろう。臨床では,みずから拘束を受けることにより,安心を得ようとする患者と遭遇することがあるとはいえ。
予定が増えて,あれとこれが繋がると,一石二鳥でよいものを,泉昌之の「ズミラマン」の一編だったかに,まったく繋がりのないこまごまとした仕事が同時やってきて,パンクするコマがあったが,まあ,あんな感じだな。