狭さ

日曜日は昼からガーデンパレスで仕事関係の記念会に参加した。3時間立ちっぱなしで,知り合いがかなり集まったため,仕事の打ち合わせが進む一方,主賓でもなんでもないにもかかわらず,終わったらぐったりしてしまった。立食パーティだったものの,そんな具合で食事もアルコールもほとんどとる暇がない。帰りに池袋で蕎麦を食べて帰る。19時過ぎまで眠り,夕飯。

月曜日はいくつか仕事を片づけ,18時前に退社。歌舞伎町で家内,娘と待ち合わせ,「コンフィデンスマンJP ロマンス編」を観る。高田馬場乗り換えで20分ほどで着き。早めの夕飯をどこでとるか店を探す。

歌舞伎町は10数年足を踏み入れていないので,どこに何があるかよくわからない。コマ劇場はないし,リキッドルームは恵比寿に移った。観光客の間をぐるぐるとまわり,結局,ラーメン王に入る。TOHOシネマズで待ち合わせ,終わったのは21時半。面白かった。新大久保まで歩き,韓国スイーツの店で休憩。そのまま線路沿いを高田馬場まで歩き帰る。

何度か書いたような気がするけれど,1980年代の半ばまで,世界は狭いに越したことがない,という感覚が私たちの間ではあたりまえだった。「世界」という言葉は「嗜好」の意味で用いているだけで,それ以上でも以下でもない。いろいろなものを聞かないし,いろいろな本を読まない,いろいろな映画を観ない,いろいろなものを食べない。その他いろいろ。

旧いものに時間を割くよりも,新しい面白いものを探すほうがたのしい。そのことと世界を狭くすることとで整合性がまったくとれている感覚を,平成以降,伝えるのは楽じゃない気がする。「温故知故」なんて言葉が登場したときは爆笑してしまったが,アンプラグドと似て,一度,あのあたりで歴史は一息ついたに違いない。

YMOは聞くけど,シーナ&ザ・ロケッツは聞かないとか,P-MODELは聞くけど,ルースターズは聞かないとか,いや,そうではない人がいたらしいこと,それもかなりいたらしいことはその後,知ったものの,世界を狭くする感覚を抱え込んでいた奴のほうが私のまわりには多かった。

それで別に不自由ではなかった。かえって自由だったような気がする。「そんなの聴いているのかよ」の一言で,どこか了解可能な狭い世界が容易く伝わるからかもしれない。

「知らない」の一言から,「知る必要がない」という自己判断が剥がれ落ちてしまったのは平成に入ってからだろうか。

結局,平成に入ってから,いろいろ観たり,聴いたり,読んだりするようになったけれど,まだ若い頃,世界を狭くしていたことで,自分はどう受け取るか,それほど苦労せず,あたりまえにしてしまう習性が身についたのではないか。そんな大袈裟なことじゃないし,わかりづらい表現だ。正しい/正しくないではなく,単に好きか好きじゃないかなんだけど,それは。

ちょっとやそっとのことで,「正しさ」のほうに動員されたり,絡め取られない耐性はあると思う。力づくでないかぎりは。

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