北千住

昭和の終わりから平成のはじめまでの数年間,週末になると靖国通りから甲州街道を行き来した。まるで教習所の教官のようなしぐさで助手席にすわる伸浩のレヴィンで,路上教習よろしく西をめざした。

ここ20年くらい,車でこのあたりを通ることはなかった。街並みは様変わりしたのだろうけれど,道の曲がり具合はほとんど同じだ。

おじさんは17時半に事務所に戻らなければならなくなったようで,カーナビの予定到着時刻を気にしている。指示には逆らうものの,到着時刻は信じているらしい。「こりゃ間に合わないな」の一言あたりから,私は便のよいところで途中で降ろされ,会社に戻ることに,おじさんの頭のなかではなってしまったらしい。「どのあたりがいいですか。地下鉄?」。急に振られても,相手先には17時くらいにうかがうと言っているわけだから,そこから自力で北千住(正式には京成関屋か牛田)に行けということなのか,予定をチャラにして会社に戻れ(戻るだろう)という意味か。

昔から他人の物言いを勘違いしてとらえることはあった。ほとんどの非は自分にある。ただ,今日ばかりは,これは私の理解力が足りないからではないと思う。おじさんも,起きていることの流れにただ乗っているだけで,前後関係をまったく踏まえていない。

市ケ谷から九段下を過ぎ,神保町あたりになったので,降ろすつもりなら,いっそのこと,このあたりにしてほしい。30年以上,仕事をしていると,そんな気持ちを口に出すことは憚られる。さっきからおじさんは気持ちしか口にしていないようだけれど。

結局,秋葉原を越え,国道4号線を左折した。どうやら,北千住までならば行って,そこから戻っても17時半までには事務所に着くという計算が経ったらしい。そこで私は「北千住というよりも京成関屋のほうが近いですよ」と行先の微調整を促す。

「え,そうなの。じゃあ設定しなおさなきゃ」,路肩に車を止め,カーナビに登録しなおす。国道4号線もそれほどの混み具合ではない。北千住の西口をぐるりと回り込むようにして,そこから少し左に回ると,京成関屋と牛田の駅の間を抜ける道につながった。ああ,北千住と京成関屋の位置関係はこうなっていたのか。10回のうち8回はそのあたり,つまり柳原から北千住まで歩いて帰っているというのに,歩く感覚から把握する位置関係と車で移動しながら把握する位置関係がまったくズレていることに驚いた。当然,車でざっくりと把握する位置関係のほうが事実に即してはいる。

狭い商店街を曲がり,通りを横切り,斜めに入り,そこから右に折れて突き当りをさらに右に行き,一つ目のT字路を左に入ると北千住の駅にたどり着くという感覚も事実ではある。ただ,それは俯瞰できない事実なのだ。

牛田と京成関屋の間を抜ける道を200メートルほど進み,車は止まった。ここから打ち合わせ場所まで300メートルほどだ。私は車を降りた。おじさんは挨拶すると国道4号線に向かい戻っていく。

おじさんを相手先に紹介する予定が,当の本人がここまできて帰ってしまった。とどのつまり,近くまで送ってくれただけだ。流れでそうなったのだからしかたない。雨は流れるままにせよ。ポール・ボウルズもいっている。

でも,ほとんど意味はなかったなあ。

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