1998

1999年のゴールデンウィーク。たまたま入ったミャンマー料理店の空気を思い出すことがある。昌己と何かの用事があって中井で待ち合わせ,昼飯を食おうということになった。川沿いを歩きながら誘われるままにミャンマー料理店に入った。たぶん看板が出ていたのだと思う。

薄暗い店内に何枚かの油絵がかかっている。その一枚はかなり不安定な構図で,見ているだけで目が回ってくるような按配だった。客はもちろん,店員もいない。とりあえず壁沿いのテーブルについて待った。

その年のゴールデンウィークは天気がよかった。開けっ放しの扉から店内を抜け,川沿いの調理場の奥まで風が流れる。14時をまわっていたと思う。店内の薄暗さと風が心地よかった。

そのうちに店員が注文をとりにきた。まだ,昼間からアルコールを飲むのはめずらしい頃だったけれども,その日は昼間から飲んでしまった。音楽もテレビも流れていない店内で昌己と二人,ばかな話をしていると,シャン族の郷土料理だという黄色い豆腐を麺にしたラーメンが出てきた。サービスでお茶の葉の佃煮もテーブルに乗った。ここは中井なのだろうか。

その後,この町でそう感じることが何度かあった。

駅前の通りまで戻り,落合に向かうと右手に吉祥寺のロンロンの地下にあるのと同じ生パスタ屋がある。左手にはCDショップがあって,ポニーキャニオン時代のクリムゾン関連のCDと DIW/SYUN レーベルのCDがここぞとばかり並んでいた。そのあたりとクラシックの品揃えは,小体な店内の割にすばらしかった。

さらに右手にはまだ,ふつうの駅前書店だったころの伊野尾書店がある。当時は,踏切の反対側にあったブックスフレンドの方が品揃えはよく,ときどきの企画も面白かった。改装されるのはもう少し先のことだ。

坂のあがり途中の左手に総菜屋(これは今もある),その先に西武書店(書房?)という古本屋があった。雑然として初手から棚に並べることは放棄された本や雑誌が積まれていた。当時,中井には古本屋は一軒だけだった。上落合にもう一軒,上落中通りを進み,早稲田通りを越えたところにもう一軒,古本屋があった。東中野銀座通り商店街の一軒を加え,自転車で回れる範囲に古本屋は十二分なだけ開いていた。

この坂の右手には武谷三男が事務所として使っていたマンションがあり,坂を登り切り,道なりに右に進むと,ポリシックスのハヤシの実家と思しきクリーニング店がある。

再び駅まで戻り,踏切を越えたすぐ左手に揚げ物・弁当の「さぼてん」があった。その先に肉屋,向いに青果店と小さなスーパーが並ぶ。今はファミリーマートになっているコンビニはam/pmで,酒の品揃えがよかった。パチンコ屋をぐるりと取り巻く道沿いは,意外と続いている店が多い。

am/pmの前の道を突きあたると左手にみずほ銀行があって,ここはもともと,帝銀事件の予行練習事件の舞台となった銀行だった場所だ。いまはセブンイレブンになっているところに何があったか記憶にない。前にあった建物を壊し,マンションを建て,その1階がセブンイレブンになったことだけは覚えている。

T字路を右に折れると和菓子屋があって,娘がここのお嬢さんと保育園から一緒なので,家内も娘もいまだに親交がある。娘が小さい頃,家内と一緒に和菓子を買っていたところ,「お店のお菓子で何が一番好きか」という話になった。家内は栗蒸し羊羹(ここの店の栗蒸し羊羹はすばらしくおいしい)と答えたものの,娘は天使の卵と大きな声で答えたらしい。名前からして和菓子ではないこと丸わかりの,店が問屋から仕入れているワッフルのような洋菓子を名指しし,家内ははずかしくてしたなかった。

和菓子屋から先はビルに建て替えられた店が多く,記憶にあるのは,朝早くから開いているお豆腐屋で(豆腐屋はそういうものだけれど),ここのご主人は娘の保育園の行き帰りに声をかけてくれた。並びに自転車があり,煙草屋にはいつも寝ている猫がいた。斜め向かいには洋菓子屋のラ・レフィーネがあり,美味しい割に値段がリーズナブルだったので,よく利用した。目白のビストロ・風見鶏のケーキはどう考えても,この店の商品を使っていたとしか思えない。

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