1998

焼き鳥屋の角を曲がると,左に青果店,その向かいは洋品店だった気がする。後に青果店は店をたたみ,サントクになってしばらく続いた。向いの洋品店は失火により全焼,被害者もいたはずだけれど,片づいて少ししてからサントクが増殖した。

少し進んで右手の地下にカーンちゃんの店があった。プロレスラー・キラーカーンが営む店で,結局,一度も入ったことはない。その後,歌舞伎町に移り,今は職安通りあたりにあるようだ。この前,弟が友人と行ってきたという。その頃,小さな自転車に跨ったキラー・カーンが踏切を横切る姿は,中井ではめずらしいものではなかった。

そこから先の記憶があいまいだ。右手の中華料理店はまだ開いていなかった。段差の手前は別の居酒屋だったはずだ。段差をくだり,左手のカレー屋はその頃,何の店だっただろう。覚えていないその店に,私は何度か入った記憶がある。店を覚えていないにもかかわらず,カレー屋の店内に入ったところ,あ,ここ来たことがあるなと思ったのだ。

焼き肉店,葬儀屋を越えた左側に丸大青果店があった。引っ越してきてから最初の桃の季節に,並んでいた桃が美味しそうで買ったのがはじまりだ。その頃,家内は東長崎や東中野のスーパーに買い物に出かけていた。日常の食材は地元でかなりまかなえることが少しずつわかった。

1,2年ほどして娘が保育園に入るようになると,買い物はほとんど地元の店で済むようになった。丸大青果店はくだもの,野菜,卵に調味料も扱っていたので,おじさんと話しをしながら,買い物を済ませた。以前,書いたように,この店のおじさんは目利きだったので,並んでいる果物や野菜はどれも美味しかった。だからといって値が張るわけではない。仮に買ったものが美味しくなかったとしても,買い物のときにそう告げることができる。おじさんは誤ることもあったけれど,それが目的ではないので,また,美味しいものを紹介してもらう。仲買いのプロの価値を,私は40歳を控えたこの頃,丸大青果店のおじさんによって理解したようなものだ。

丸大青果店のはす向かいの店が何だったかも忘れてしまった。白雪鮨に向かって曲がると,右手に今も続くキッチン,ぺいさんがある。その頃のコックさんは北の生まれの人で,今のコックさんとは味が違った。その先のクリーニング店をよく利用した。

斜め向かいの居酒屋狭山はその頃からあったものの,とにかく地元のおじさんでいつも満席なので入ったのは1年位前に初めて入った。さんまを焼いて火災報知器を鳴らしてしまう居酒屋に,もっと早くから入っておけばよかった。

狭山の斜め向かいに白雪鮨がある。それよりも正反対,踏切を越えたところにある玉寿司が,中井で一番の店だ。

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