自由

ハードボイルドの主人公は,自分の行為がきっと他人に与えずに置かない迷惑を知っている。“これだけは出来ない”“これだけは許せない”ために“NO”と言い切る瞬間,そのNOは自分に弾ねかえり,それに傷つくだけの,やわらかい心を持っている。傷つきやすい心を持ち,尚,NO! と言わずにおけないのだ。NOと言うために拳銃か暴力が必要な場合もある。

シスコ・マイオラノス「煩雑な殺人芸術」

という菅野圀彦による矢作俊彦インタビュー(と思しき文章)のこの箇所が,竹内敏晴さんが紹介するルソーの自由に通底することに昨日気づいた。大塚英志さんのツイートに張り付いていたら,ふいに繋がり,で,そのツイートは削除し,単独のツイートにした。

それでルソーの『孤独な散歩者の夢想』の最後に近いところに『自分はしたことをする自由なんていうことについては考えたことがない』と書いてあった。びっくりして,それじゃ一体自由って何だろうと思うと,『したくないことはしないという自由について自分は考えてきた』と書いてある。それを読んだときに,はじめて自由というのがわかったという気がしましたね。つまり自由というのは奴隷の主張であって,NOと言うには自分の死を賭けなければならない。しかしそれでもNOということを選ぶという,そのことが自由であると。

竹内敏晴<鼎談>身体感覚をとり戻す,環,Vol.7,2001.

「煩雑な殺人芸術」が収載された文庫版『リンゴォ・キッドの休日』の刊行が1987年,竹内敏晴さんの鼎談が掲載された「環」が2001年。繋げるのに,あまりに時間がかかりすぎるな。

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