悪魔を憐れむ歌

大宮に直行で打ち合わせ。終わったのが12時前だったので,ブックオフを覘き,島田一男の文庫2冊を購入して昼食。東口から歓楽街を南に入ったあたりを少しぶらつく。P-MODEL「ワン・パターン」リリース後のツアーをこのあたりにあったライブハウス・大宮フリークスで見たのは30年以上前のことになるのか。その日は「のこりギリギリ」から始まったような気がする。当時,「このりギリギリ」「サイボーグ」あたりが1曲目の常套だった。「ゼブラの日」のチラシを渡すスタッフの1人が「なんでゼブラなんですか」と尋ねた。もう1人が「新譜聞いていないのか」と返したやりとりを,そこだけ思い出す。

会社に戻り,仕事。

ここ数日,久しぶりの偏頭痛で,痛み止めを飲んでも効果は芳しくない。鞄に入れていたレルパックスを取り出し1錠含む。とはいえ急によくはならず,18時前に会社を出る。

家で2時間ほど眠る。夢ばかり見て,なかなか熟睡できない。夢のなかで「これは夢だから」となり,かなり疲弊する。家内が買ってきたお弁当で夕飯を済ませた。家内も偏頭痛が続いているようで,このところの気圧のせいなのかもしれない。

森真沙子『悪魔を憐れむ歌』(廣済堂文庫)を,こちらも30数年ぶりに読み返した。この小説に私がかなり影響を受けていたことはすっかり忘れていた。「ANOTHER GAME」のプロットは,学生運動に触れないという縛りのもと,80年代初めのきな臭いライブハウスとバンドをめぐる状況,それに放送業界ネタを絡めて,この小説を私ならばこう書くといって始めたようなものだ。いや,まったく本当に。この小説の最後に至る場面は,くやしいくらい,これとは違うように書きたくなる設定で,このプロットがあるならば,刊行された小説の数倍,面白いものになるのではないかと思った。『刺青殺人事件』読んだ江戸川乱歩のような具合ではたとえにならないけれど。

新書で買って読んだ気がするし,文庫になって手にしたような記憶もある。森真沙子の小説は角川文庫で,当時,時代からはずれたゴシックロマンを書いていたときに読んで,数年,新作が出ると手に取った。しばらく後,ホラー小説,さらにその後,時代小説中心に書くようになってからは読んでいない。

『悪魔を憐れむ歌』はこんな話だ。

1984年のある日,京都のインディーズバンド・テクノザウルスのボーカルが事故で死亡する。若手音楽評論家で地元FM局でDJの仕事を掛け持ちする主人公はボーカリストと付き合いがあり,その小体なお通夜の場面から物語は始まる。

彼女はボーカリストと懇意な仲であり,遺品を整理するためにアパートに行くと,見慣れないレコードがあることに気づく。1968年から短い期間,同じく京都で活動したロックバンド・ダムンドが唯一残した自主制作アルバムだ。

ボーカリストの死とのつながりを示唆する手がかりをもとに主人公は,ダムンドの解散が,ある学生運動の収束(これは矢作俊彦が「リンゴォ・キッドの休日」で用いたのと似た構図)に関係することを知る。

テクノザウルスのメンバー,京都で音楽雑誌を発行する出版社の社長,音楽評論家などの協力を得て,ダムンドのメンバーに取材を試みるなかで次の事件が起こる。

1984年当時の流行歌や70年前後のエピソードを盛り込み,物語の骨格は見事だ。ただ,細部には粗がめだつ。もう少し書き込めば,もっと面白くなるのに。読み終えて,そう感じた。たぶん,最初に読んだときにも同じように思ったに違いない。当時の日記は,まだ残っているので,確認できるはずだけれど,まあ,だいたいそんなところだったのだろう。

まだ「ANOTHER GAME」をまとめる熱意があった頃,団塊のおじさんに途中までのプリントを読ませた。もちろん,書き終える前に行なうことではない。
「たとえばさあ,喫茶店のマスターが出てくるじゃない。彼がレコードプレーヤーの針にこだわっているとか,オーディオマニアだったり,そういうちょっとしたことでリアリティが増すと思うよ」
「あのマスター,内田百閒がモデルなんですけどね」
「だったら,他にだってリアリティの持たせようはあるじゃない」

そんなやりとりをした覚えがある。で,少し手を入れて,さらに手を入れて,としているうちに,物語をつくるおもしろさが失せてしまった。おもしろくもないことをする必要はない。最後にほったらかしてから,もう10年くらいになると思う。

で,『悪魔を憐れむ歌』を読み返したら,なんだか書き足したくなってきた。

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