10/17

仕事の後,夜は読書会。平野啓一郎『マチネの終わりに』が課題図書だった。数年前に読んだっきりで,本も忘れてきてしまった。後楽園の丸善でざっと眺めたものの,文庫をあえて買う気にはならない。そのまま,少し遅れて参加した。トーマス・マンへの言及があるとおり,これは辻邦生が新聞小説として書いた『雲の宴』『時の扉』あたりを意識したように読めた。さまざまなしかけへの評価が高かったように感じたが,なんだか身についていない印象だ。終わってから,高田馬場の中華一番館で夕飯をとり帰った。

全感覚祭に行くとき,バッグには矢作俊彦が2016年,「小説トリッパー」で唐突にまとめた「アマ★カス」短期集中連載(全2回,ほんとうに短期だ)を入れていった。プロントで第1回を読み終え,その後,少しずつ読み進め,昨日,中華一番館で読み終えた。

読み返したのは何度目か覚えていない。こういう小説だったのだなあと,矢作俊彦の他の小説を読み終えたときと同じ感慨。カットつなぎで時間を遡り場所を移動し,結局,ほんの少しの時間のなかの物語としておさめてしまう手腕は,どうしたわけかほとんど評論されない。

明治の終わりから第二次世界大戦まで生きた人びとを,今日に照らして造形する手腕も見事だ。後半,アマカスが石原莞爾にくってかかる場面のセリフで思い出されるのは小沢一郎だった。ではアマカスに誰を仮託して描いたのだろうと,思いながら,また最初から読み始めた。

「百愁のキャプテン」とは違い「アマ★カス」は13章というか節の中編なので,章・節ごとにアウトラインを追ってみよう。

全感覚祭は,渋谷でのライブハウスサーキット開催を決断した時点で,似て非なるものになり替わったのではないかという趣旨のエントリーをみて腑に落ちた。この次は,ふたたび同じ仕切りでは成り立たつはずはなく,あくまでも今回一回だけ。「また永遠に負けるの 人間じゃ勝てないの」と歌った「待夢」のような熱量でとにかく開催し,いろいろな理由で渋谷に向かった人々。彼らに向けてと謳われた,踊ってばかりの国の“Boy”と,物語は追える。エピソードを繋ぎ合わせることでしか場を描けないホログラム,まるで宇宙船レッド・ドアーフ号のリマーのように。

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