ビッグ・スヌーズ

以前のエントリーを確認せずに書き続け,ときどき修正しているため,以前,書いた内容と重複すること多々あるとの前提で。

矢作俊彦の連載「ビッグ・スヌーズ」(新潮)は,二村シリーズを1975年スタートとしてみた場合,長編ではもっとも充実した小説になっている。キャリア47年の小説家の最新作としては稀有ではないかと,毎号,限られたページを捲りながら感じる。

連載「真夜半へもう一歩」を除き,また,後半がなかった「ヨコスカ調書」も避けておくことにして,「So Long」「Goodbye」「チャイナマンズチャンス」「黒色影片/フィルムノワール」の連載はいずれも出だし快調にもかかわらず,後半にかけて減速してしまう(デジタル雑誌連載の「ルッキン・フォー・ビューティー」は,私がメディアに慣れないため,いまだ筋を追うことができない。ただ「ビッグ・スヌーズ」がまとまると,こちらは手つかずにおかれるのだろうとは思う)。まるで石森章太郎のマンガのようだった。

石森章太郎が修正をかけずに減速したマンガをそのまままとめるのに対して,矢作俊彦は単行本化に際し,大幅に書き変えるため,きちんとまとまる。それでも,一ファンとしては,連載後半をリアルタイムで読みながら,物語の行方に思いを馳せたい,というのは仕方ない。週刊誌連載の「眠れる森のスパイ」に感じた魅惑は忘れられない。

いくつかの意味から三度目の正直の「ビッグ・スヌーズ」は,連載第21回を迎え,語弊を恐れずに言うならば,いまだおもしろい。24回くらいできれいにまとめてほしいと,これも以前,書いたような気がする。ここから戦後史の話になり,Rセクションとかクリス・アッカーマンの閑職とかを繰り出すことはもはやないだろうし。

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