曖昧で欺瞞を糊塗する

FM横浜が開局したときのことだから1985年の暮れ,矢作俊彦をパーソナリティに,松本葉がアシスタントを務めた対談番組「アゲイン」が始まった。FM横浜の開局日は12月20日となっているが,その1週間くらい前から試験放送とともに,帯番組の第1回が流れた。「アゲイン」の第1回はだから,12月20日より前のことだった。ゲストは宍戸錠。翌週,本放送が始まった第2回にわけて,話が続いた。

大島弓子が書くように,矢作俊彦はまるで文章を書くようにしゃべる。文字にすれば理解できるものの,音声で聞くとピンとこない言葉が頻出する。

「曖昧で欺瞞を糊塗する」とは,その番組の第1回に出てきた言葉だったと思う。音の響きと,文字にしたときのバランスがよいので,数年後,私は仕事で上司を批判するときに,ときどき用いたことがある。ピンとこない上司はわかったような雰囲気で流していたけれど,字面が思い浮かんだ上司からは,手非道い反撃にあった。そのときは捨て台詞としてとっておいたので,後に引き摺るものはなかったが。その後,同僚の結婚式のとき,反撃された上司とトイレで一緒になり,一言だけ下手に出たところから水を向けたら,ころりと転んだことは覚えている。

「アゲイン」は,停電のために録音できなかった1回ともう1回分を除き,120分カセットテープに録音されたものを今ももっている。早い時期にmp3あたりに変換しておかないと再生できなくなるだろうなと思いながら,まだ手をつけていない。

「曖昧で欺瞞を糊塗する」と同様だけれど,こちらは出典があるはずで,それを確認できない言葉として「巧みに祈るもの」というのがある。東郷隆がゲスト(2回のうち,最初の回)だったときのはずだ。世阿弥の『花伝書』の一節として,「巧みに祈るものは,無から有を生じ」と続く。「巧みに祈るもの」が意味するところを仕事で使いたくなって『花伝書』を捲ったものの,その言葉を見つけることはできなかった。初手から,あるともしれない言葉だけれど,何度か調べたことがある。

そんなことを思い出したのは,「曖昧で欺瞞を糊塗する」,「アゲイン」では,これは憲法第9条下の自衛隊について触れた流れで出てきた記憶があるが,このところ「曖昧で欺瞞を糊塗する」所作を,まあ国の中枢とこれまで呼ばれてきたあたりで,勤しむ様子が露呈しているからだ。「このところ」ではなく,現政権に変わってからと言ってかまいはしないだろう。

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