小学生の頃の記憶なので,当事者の名前も,どのようなきっかけでそんなことになったのかもすっかり忘れている。

彼の名字は記憶にない。ただ,当時流行したガッチャマンをまねして,友だちのあいだに○○マン2号,3号と名を与えた。ひょろりと背が高く,リーダー格におされがかちだった彼が,その遊びで命名権をもったのがはじまりだった。1号はもちろん彼自身だ。

2号,3号,4号と○○マンは増えていった。まあ,友だちに別の名前を付けただけといえば,それだけのことだ。にもかかわらず,そこに差異を生まれたのは,別の名をもつ友だちと,その名をもたない友だちが出てきてしまったからだ。初手からその名を辞退するものもいた。私は何号かの名をもらったものの,正直,そんなことはどうでもよかった。休み時間の遊び,放課後や休日のたのしみがそれでスムーズにすすむのなら,まあ名前をもらっておくにこしたことはない。その程度の重みでしかない名前だった。

ただの名前だ。もらうにしても,特別の能力や衷心が必要なわけではなかった。小学生にとっての数週間は永遠の半分程度の時間に感じられる。○○マンの命名に,いやその遊びになんらかのたのしみを感じたのはせいぜい1週間程度,そのうち不協和音がうまれた。いわく,「1号が1号である理由なんてないよな(もちろん)」「1号はなんだかえらそうだ」「1号が選んだ遊びは面白くない」などなど。もともと彼はリーダー格におされることはあっても,リーダーである時間は少なかった。

永遠の半分くらいのある日曜日。メンバーは1号の家に自転車で集まった。しばらくは1号が提案する遊びが続いた。とはいえ,遊びは盛り上がらない。1号は,遊びをたのしむより仲間を仕切る自分の役割に力が入ってしまう。それが負のスパイラルを生んでいた。この遊びもつまらない,次の遊びもダメだ。どれもが以前,誰かがはじめた遊びの受け売りだ。あまり面白くないことは私も感じた。

「帰るよ。もう○○マン,いらないや」1人がそんなふうに言った。ドミノ倒しよろしく,数分のうちに私以外のメンバーは名を返上してしまう。「面白くないんだもの。おまえの考えた遊びのほうが面白い。1号抜きで遊ぼうよ」,1人が私に声をかけた。

向こう側にいる元メンバーと,1号のあいだに私は挟まれるかたちになってしまった。ぐっと腕をつかまれたのはそのときだ。1号が目に涙を浮かべて「行かないでよ」という。

彼の手を軽くほどいたときの感触は,しばらくのあいだ肌に張り付いていた。すぐさま誰とはなく1号に,こちらにこいよと言った。私だったかもしれないし,他の誰かだったかもしれない。別に彼を仲間外れにしようという心づもりではないのだ。彼はこちらにきた。あちら側には誰も残っていない。

仲間とは,その後数年で一人を除き,音信不通になった。もちろん今,何をしているかまったく知らない。ただ,同じような場面に私はその後,何度か遭遇したことがある。あちら側に誰も残らなかったこともあるし,また,とどまり分かれてしまったこともあった。

器がどのようにして形づくられるのかわからない。不相応というと不遜ではあるけれど,不相応な器のために集団が分かれ,不相応な器に最後の最後で頼られてしまう。頼られてしまうから,その都度,最後に私が放った言葉は非道く相手を傷つけてきたはずだ。まるで刑吏になったかのような役割は,集団のなかで誰かが果たさざるを得ないのだろうけれど。

高校1年の初夏,4月生まれだったそ奴は,オートバイで家の塀に激突し,いのちを落とした。葬儀のとき,数年ぶりに会った恩師から泣きはらした目で「ばか」呼ばわりされたそ奴が,最初にあの名の返上したことを思い出した。だからそ奴とは音信不通になったわけではない。

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