新橋

夜,日比谷まで取材に出た。公務員でもないかぎり,仕事で霞ヶ関界隈に向かうと気が重くなるのはしかたない。いや,公務員でさえも,か。

木立の奥に日比谷野音を確認しながら,ぐるりとプレスセンターのほうに向かう。時間があったので,日比谷図書文化館に入って時間を潰す。はじめて入ったところ,下手すれば一日かけてたのしめそうな場所だった。

19時から取材で20時半に終わる。日曜日に観た演劇のチケットを譲ってくださった方がいらしていて,演劇と仕事の話。

終わってから夕飯をとるために有楽町のガード下をめざすつもりが逆に行ってしまい新橋に着く。ニュー新橋ビル地下のキッチンジローに入る。20代の数年間,銀座の事務所で仕事をしたことに,これまであまり意味を感じなかったけれど,日比谷から新橋へと歩いていると,なんだかそれなりに意味のある体験だったのだなあと感じた。

名刺一枚で帝国ホテルの記者会見から,テレビ局,ラジオ局はもちろん,メーカーの広報担当者に話を聞くことができたのはなかなか頼もしい後ろ盾だった。代理店や媒体の営業担当者のどす黒い顔を見て,長く居続ける世界じゃないなと離れた判断も含めて。後ろ盾を手に体験したことが少しは糧になっていることに今頃気づいた。

キッチンジローで夕飯をとりながら,「常陸坊海尊」のことを考える。

一幕冒頭,さまざまな時代と思しき人物が10数人,揺れながら立っているところから始まる。人の間を,疎開中の子ども,教員,下宿先の主が縫うように進む。運命に従順にならずを得ない場,軋轢とぶつかることなくかわしていく場の物語であることを示しているのだろう。

演出の長塚圭史がパンフレットに「線引き考と劇場の可能性」という一文を書いている。思い出すのは岸政彦の『マンゴーと手榴弾』に収載された「鍵括弧を外すこと―ポスト構築主義社会学の方法」だ。いずれも,対話とは意味を解釈するものでなく,また,わたしとあなたを切り分けるのではなく,場としてとらえることだろう。言葉足らずだけれど,対話が豊かで意味のあるものだとの前提を降り,対話が行なわれる場をつくる,もしくは,場があることに軸足を置きながら,そこで起こることに何がしかの確信をもつ。いや,確信をもったうえで,そこに軸足を置く。

21世紀からこっち,やけにスピノザが注目されているのは,つまりのところ,何がしかの確信,つまり真理のもとに,現象を整理していく点に対する再評価ではないかと思う。20世紀の後半,下手に真理をもちだしたりすると,オプティミストだとか鏡像段階だとか叩かれることしばしばだった気がするのだ。

アメリカ人のようなプロフェッショナル信仰とは別の意味で,今日,専門性が問われている。それはこれまでのように,ひたすら線を引くことで成り立っていたものではなく,確信にもとづいた専門性で,それを専門家は体験として得ているからこそ,世間で役割を果たしうる。

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