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花粉が飛び始めたからなのか,昨日のマッサージのもみ返しからなのか,朝から頭痛。少し遅れて出社する。テープ起こしのデータをざっと整理し終え,各位に送る。翻訳本の入稿作業で20時過ぎまで。帰宅後,夕飯。

ニコニコ動画に1986年田島が原フリーライブで演奏するP-MODELの音源と一曲分だけ動画があがっていた。自分たちの声が聞こえてきてもおかしくない雰囲気の音源と,当日,ステージはそれなりに高い位置に組み立てられていたにもかかわらず,ライブハウスのような高さで演奏しているように見える動画。音源を最後まで聞くと遅くなってしまうので,飛ばし飛ばし聴いた。いいなあ。高橋さんは,この後,1987年に入ってからの演奏よりもこの頃のほうが上手い気がする。アルバムリリース直後で,バンドの状態がよかったのだろうか。この後,大宮フリークス,新宿ロフトと,P-MODELのライブを行脚する日々が始まったのだ。

首相の「募集する」と「募る」は違うとかいうとちくるった答弁が話題になっていて,これは本当に選民思想で投網をかけているとしか思えなくなってしまう。なおさらに,そこから降りる術を手にする必要があるのだ,と。

降りる術を動機づけにしてきたP-MODELが,結局,平沢ソロ以降,降りる術を機関としてそれに動員されたがるファンを収集するマシンと化してしまったことに皮肉というか,パラドックスを感じる。

中根千枝『タテ社会の人間関係』の出来は1967年だというけれど,その言説に価値がついてまわるようになったのは1980年前後ではないだろうか。感触として,クラスを優劣ではなく差異でとらえ,それを新しさとして示したのはネオアカあたりだ。

矢作俊彦は「戦後民主主義」のあるべき姿を日活アクション映画に見出したが,それはクラスを差異でとらえているからだろう。対照的にクラスを優劣でとらえたのが東映ヤクザ映画だ。単純に図式化してしまうと。矢作俊彦による,あるべき「戦後民主主義」のあだ花であった日活アクション映画,というスキーマは1970年代をかけてつくられた。

FM横浜の「アゲイン」のある回に,「ぼくはプロフェッショナルならなんでも尊敬してしまうんです。それはアメリカ人のプロフェッショナル信仰とは違うんだけれど,たとえばプロのペーチュー(麻薬中毒)っていて,彼はいかに自分がペーチューでいられるか努力する」というくだりがあって,とても端的な表現だなあと感じたことを思い出す。

大塚英志や宮台真司が,20年くらい前から「絡め取られた奴はしょうがない」と言いはじめたとき,そこに彼らの選民意識を感じたのだけれど,なんだかそうとしか言いようのない状況が続いているように遅まきながら感じる。

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