本郷

四半世紀以上前, 本郷追分に 手動写植屋さんの入った雑居ビルがあった。ビルといっても入口はなく,道路に向けて四角く開いた一角を入ると,すぐ先が階段になっていて,両端には自転車や原付バイクが留められている。最初に階段と事務所を建て,後から壁で囲ったかのようなつくりだった。階段から振り返ると,道路側の壁があるものの,壁と階段の間に部屋がつくられていない。吹きさらしの空間はだから,夏は蒸し暑く,冬は厳しい寒さだった。

階段を蜻蛉の胴にたとえると,左右の羽根に個人事務所が店を連ねる。その様子は,階段から見渡せた。4階建ほどのビルで,当然,エレベーターはない。手動写植屋さんは3階にあった。胴体を上って右,形ばかりのドアはいつも開きっぱなしで,留守のときは,その扉が郵便受けかわりになって,打ちあがった写植と原稿が張り付けてあった。

昭和の終わり,建築探偵団あたりにあぶりだされた古い建物にまさるともおとらないビルだったので,もしかしたらどこかで紹介されたかもしれない。

私は写植屋へのおつかいがたのしみだった。直帰できるからという理由ではない。銀座の事務所を17時過ぎに出ると,本郷追分に着くのは18時近くだ。下手をすれば15時前から有楽町のガード下で酒盛りをするような会社だったから,直帰とはいえ,それは決して早い時間ではなかった。このビルに入るのがたのしみだったのだ。

帰りに根津まで降りていく道も面白かった。ハンバーガ屋の間の狭い道を進み,右に折れる。曲がりくねった下り坂の右側に,いわくのある建物があった。このあたりは100メートルも歩けば,著名人の生活の痕がたどれるのだからめずらしくはないけれど,だいたい19時前の暗闇に映える建物は魅力的だった。

先日,打ち合わせのため,本郷三丁目に行った。少し早く着いたものの,時間が中途半端だったので,郵便局の先あたりまで久しぶりに歩いた。2000年前後に建てかえられてビルのあいだに,いまだレンガ造りの(矢作俊彦よろしく,それは外側だけレンガなのかもしれないが)建物がいくつも残っていた。本郷追分まで歩く時間はなかったので,折り返してしまったけれど,久しぶりに,あの写植屋さんが入ったビルのことを思い出した。

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