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九州の豪雨被害が非道いとのニュース。回数は問題ではないにせよ,とはいえ,ここ10年で,いったい何度目の被害なのだろう。関西にもその被害は移っているという。

福岡の訳者の校正が,というわけで届かない。電話をいただき,五月雨に送ってもらうことにして,後半のみ下版。16時過ぎに退社。中井で降り,伊野尾書店で「新潮」を購入。「図書」をピックアップ。日高屋で休み,「ビッグ・スヌーズ」を読む。次号あたりで完結だろうか。二村が超人的,まるで首猛夫のようなことを除けば,長さはまったく苦にならない。ただ,結局,家に帰り,前月号を引っ張り出してつなげて読むのだけれど。

疲れてしまい,2時間くらい眠る。夕飯をとり,テレビを観て眠る。

で,ダンスだ。

滝本誠が渋谷陽一との対談だったか,LPのライナーノーツだかで示していたとおり,プログレの何がすばらしいといって,フロアからダンスの要素を一切消したことなのはその通りだと思う。ただ,私には比較する体験がない。ダンスというと,小学校のフォークダンスと,あとは路上で踊る集団くらい。体験もなければ,そのたのしさを感じたことも,また,それが嫌だったこともわからない。

ただただ,他人が躍る姿を観て,恰好悪いなあと思ったのが,ある種の体験のすべてだ。ダンス禁止令が出されるくらい統制に支障があったことは本で読んだだけで,そんな体験ももちろんない。映画「サタデー・ナイト・フィーバー」「グリース」あたりが流行ったとはいえ,あれを観て,ダンスに興味をもつとは思われなかった。たとえそれが誤りであったにしても。ビートたけしの番組でダンス甲子園などという企画が注目されても,ああ,そういう奴がいるんだな,というくらいの感想。

ロックとダンスの親和性に思いをめぐらせることもなかった。踊るなんて恰好悪い。友人たちと渋谷や六本木あたりに出かけても,せいぜいタコダンスの輪に入るくらいで,からだを動かすのはシャレだった。

80年代半ば,ライブハウスに行くようになった私たちに,だからダンスの素養は何もなかった。P-MODELのライブではそれが幸いした。フロアは素養のある奴が踊るような場ではなかった。ポゴダンスと言われはしたものの,あれはポゴダンスでもない。上下に飛び跳ね,前を目指す。傍からみるとダンスに思われたかもしれないが,あれはダンスではない。

以後,くるりのライブでも,踊ってばかりの国のライブでも,からだの動かし方は,P-MODELのライブのときと同じだ。歳をとってしまったので,あまり長くは続かないものの。唯一,10年くらい前,マッドネスが来日したときだけは,動かし方は変わらないはずが,恐ろしい激しさで動くフロアに身を任せた。平成のはじめ,スカパラのライブで,ぶつかってくる奴を避けるように動いたのとは似て非なるものだった。

で,ダンスってどうやって身についてくるものなんだろう。たのしいものなのだろうか。50代を折り返してなお,ダンスはよくわからないのだ。

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