山高帽子

午前中から仕事。朝の豪雨が過ぎたあたりに出る。18時過ぎまで進めて帰る。池袋でパンを買い,少し休憩。帰宅し夕飯をとる。

倉多江美の「彼誰時」は『ミトの窓』に収められたときに読んだ。1985年に刊行された本書を読むのと同じ頃,内田百閒の本が旺文社文庫から毎月のように出ていて,それを読み続けていた。「彼誰時」の一節が「山高帽子」から引用されたものだということに気づくまで少し時間がかかった気がする。

内田百閒は最初,『冥途・旅順入城式』からはじまる短篇の幻想小説を選んで読んだ。すでに数十冊刊行されていた旺文社文庫でも,そうやって読むとすぐに行きづまってしまう。身辺雑記をまとめたものを試しに手に取ったところ,内田百閒の文章は,幻想小説,鉄道エッセイ,身辺雑記,小説などに分けなくても,『冥途・旅順入城式』を読み,次が読みたくなった感じは共通していることに気づいた。

当時,4号線沿いで0時くらいまで開いていた文教堂書店に,旺文社文庫が揃っていたので,新刊で買っては読みながら,一方で,数年前に出たものは古本屋で探した。

倉多江美がいつごろから内田百閒を読み,マンガのなかに引用しはじめたかわからない。ただ,1982年に発表された「彼誰時」と,同じ時期に連載された「さくらサクラ」に内田百閒の随筆や小説からいくつも引用されていることはわかった。

1985年というと,一方でサンリオSF文庫が終わる頃でもある。ディックと内田百閒,それに矢作俊彦の小説で,ほぼ一年が終わった気がする。それは幸せな読書体験だった。で,P-MODELの『カルカドル』はリリースされるし,1983年から84年は今一つ低調な気がしたものの,1985年を契機にして,それから数年,じつにおもしろい数々の出会いがあり,それらの多くは今に続いている。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

Top