9/1

18時過ぎまで仕事。ここ数日は気圧も不安定で,偏頭痛の兆し。高田馬場の日高屋で休憩して島田一男の文庫を読む。そのままブックオフに行き,五木寛之の『内灘夫人』(新潮文庫)が並んでいたので,ジャプリゾと一緒に購入。歩いて家まで帰る。夕飯をとっても,調子はすぐれず,2時間ほど眠る。起きて,再び眠るしたくをする。

COVID-19の検査が会社経由で受けられるという説明があったときのこと。代表は「受けたくないでしょう」という。なるほど,このように巷の空気は変化していくのだと腑に落ちた。

4月くらいまでであれば,感染と重症化・死が分かちがたく結びついていたから,早期に発見し治療を受けることが最優先だった。この時期,社員や店員のCOVID-19感染で休店どころかビル1棟休業という事態はめずらしくなかった。

緊急事態宣言は解除される前後から,様子は変わる。感染者が出た店舗の消毒のみの対応,ビル全体を休業させるような事態が減っていく。テナントからSNSを通して感染者が出たので,そのビルに来店しないように,とのアラートが出る。

一方,陽性無症状,軽度の症状という症例が積み重なるにつれ,検査で陽性が確定した際の,会社やそれを取り巻く諸々に及ぶ影響が頭をよぎるようになる。陽性がスティグマ化する。重症や死から遠のいたかのような空気のもと,検査による差別を懸念する声が出る。さらに密集を避ける対策についても,過剰反応ではないかという声があがる。曰く,COVID-19で命を落とす前に,経済の鈍化で死者が増えてしまう。

抽象的な時期に出たのはそんな意見だった気がする。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

Top