ノベルズの行方

島田一男の小説を文庫で集めるようになって数年になる。文庫だけでも100冊を優に超える。はじめは春陽文庫だけを読んでいたものの,少し前は徳間文庫,最近は光文社文庫を読み返している。

1980年代に文庫書き下ろしの打ち出したのは光文社文庫で,当時,矢作俊彦の『コルテスの収穫』もこのラインナップの一翼にあって,その後の経緯を思うと苦笑いしそうになる。書き下ろしが可能だったのは,光文社がカッパノベルズを抱えていたからだと,最近になって気づいた。

ノベルズが,つまりは新書で小説を読むスタイルは,1970年代はじめには,すでにスタンダードなものだった。後に文庫が担う役割は1980年代までノベルズの主戦場だった。80年代を折り返す頃,山田風太郎meets半村良といった按配の伝奇小説群がノベルズ界を席巻する。ノベルズでもとがとれる小説家の作品は文庫書き下ろしに降りてきた。

島田一男の文庫解説を読むと,書き下ろしシリーズ第1弾にもかかわらず,「すでに3作書き終えた」と紹介されていたりする。ところが,文庫のラインナップを捲ると,そう紹介された作品が刊行されるまで,かなり時間がかかっていたり,ものによってはリストに見当たらないこともある。どうしたことだろうと思っていたところ,ノベルズなのだと気づいた。

島田一男は,ノベルズ書き下ろしと並行して文庫書き下ろしでシリーズを刊行していたのだ。「文庫書き下ろし」と銘打ったシリーズのすべてが,だから文庫化されているわけではなさそうだ。手書きなのかワープロなのか,口述筆記なのかわからないが,おそろしい仕事をこなしていたことになる。

一方で,あれほど大量に消費されたはずのノベルズを,いまや古本屋でほとんど見かけないのはどうしたことだろう。文字通り読み捨てられてしまったのだろうか。保管するには文庫よりもややスペースが必要なので,廃棄されたのか。カッパノベルズはもちろん,ノン・ノベル,カドカワノベルズなどがまとまった棚を古書店でみることはほとんどなくなった。

古書店で文庫の棚がある程度確保されているのを眺めると,この2/3くらいのスペースをノベルズでつくることはできるだろうと思う。文庫化の際割愛されることが多い「著者の言葉」(実際,本人がそう言ったかどうかはさておき)など,ノベルズの資料的価値はあるのだけれど。

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