Changes

早出の週。1時間早く出勤したところで,通勤ラッシュをかわすことことなどできやしない。16時過ぎに仕事を終え,茗荷谷の日高屋で休憩。島田一男の短編集を少し読む。台風が近づいているというものの,事前のアナウンスに比べ,降水量はまだ少ない。家に帰り,しばらく眠る。休日だった娘が帰ってきた。歯科,皮膚科をはしごした家内が帰ってきて夕飯をとる。

STORESに1件,注文が入る。このところの本の動き(微々たるものではあるが)をみると,サイトを開く当初,登録し始めたタイトルはそれほど的外れでなかったように思う。

夜,北杜夫の特集ムックを捲る。北杜夫と矢作俊彦の小説・随筆を比較しながら,論考をまとめることはできないか少し考える。私小説から遠く離れて,というような感じで。

踊ってばかりの国の新曲がリリースされた。変化するバンドと伴走していく感覚。デヴィッド・ボウイはいうに及ばず,70年代のKing Crimsonも(まあ,70年代のバンドはほとんどだけれど),P-MODELもアルバムごとにスタイルがガラッと変わっていった。繰り返し書いているのは承知のうえ,現在の作品が一番ということ。レイドバックが蔓延る90年代初頭まで,体感として1983年くらいまでは新作をそんなふうに聴いた。80年代のKing Crimsonの後半2作をどう評価するかはさておき。

P-MODEL凍結後,変化するバンドと伴走するおもしろさを感じたのは,くるりを聴き始めるようになってからだ。その流れで聴いた赤い公園は,くるりのような変化を感じなかった。

これも何度か書いた気がするが,踊ってばかりの国を初めて観たのは,渋谷のO-nestだ。今の体制になって数か月,下津の髪は金色に染まっていたものの短く刈られたスタイル。JappersとHAPPYの間に挟まり,7,8曲を演奏した。

話はない,boy,ほんとごめんね,SEBULBAらを,まだ前のメンバー時代のアレンジをトレースするかのような演奏だった。はじめて観たのだから,そうわかったのは後でのことだ。下津の声と,町蔵っぽい眼力,曲と演奏がよかった。ステージ上でメンバー相互がバンド感を出す前のことで,ああこのバンドはフロントマン(だけ)のバンドなのかと思った。それにしては曲も演奏もすでに凄かったのだけれど。くるりを経由していなかったら,そうは思っても,その後,聴き続けることはなかったかもしれない。

その年は,くるりと同じくらいの回数,踊ってばかりの国のライブを観たはずだ。くるりがライブ本数を絞っていた時期だったからとはいえ,観る側も変化する。

一昨年あたりから,インタープレーが目立つようになり,それにともない曲のバリエーションが増えた。去年,何度か観たおどってばかりの国は,初めてO-nestで観たときはかなり違うバンドになっていた。今年になってから,まだライブハウスでじかに踊ってばかりの国を観ることはないものの,新曲や配信ライブを観ると,また変化しているように思う。

メジャーデビューしていないバンドのなかに,同じように日々変化するバンドがいるのだろう。そういうバンドを変化とともに聴くたのしみをたぶんP-MODELで知り,そして,もはやP-MODELに拘泥する必要はないのだ。

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