10/19

昼に昌己からメールが入り,赤い公園・津野米咲の訃報を知る。20時近くまで仕事をしながら,ときどきネットでタイムラインを検索。家に帰り,夕飯をとりながら家内,帰ってきた娘と少し話す。水戸まで一家して赤い公園のライブを観に行ったときのことを思い出した。

新しいボーカリストを迎え,各地のライブハウスをまわるツアー,セミラストで,ステージが終わってしばらく,物販ブースにメンバーが揃う。娘と家内はなんだっただろう,グッズを買ったとき,少しだけメンバーと会話した。そのときの場の感触が忘れられない。

もともと,CDに付いた「情熱公園」という動画シリーズを家内や娘はたのしみにしていた。等身大といえば聞こえがいいかもしれないが,聞きなれたごくふつうの話題とやりとりを切り取る。クラスの人気者の所作そのままをパッケージにしたようなもので,つい見てしまうのだけれど,たとえば,それはザ・ビートルズのレコーディング風景を収めた映画と似て非なるものだ。素人っぽさ全開としかいいようのない代物だ。

訃報に接してから,そのあたりがあたまのなかをぐるぐるとしている。赤い公園のおもしろさであり,つねに抱えている違和感は,メンバーの所作に,示される音が透けて見えないところだ。

ミュージシャンとしての所作を演じることなく,アマチュアというか市井のごくふつうの所作をパッケージとして示し,一方で,プロフェッショナルで,それも一般化されづらいフォーマットを盛り込んだポピュラーな作品として提示する。

1980年代をかけて,平沢進はみずからのパブリックイメージとある種のたたかいを演じた。たとえば「平沢はトイレに行かない」くらい極端なイメージだったそれを覆すために,パーソナルな情報を提示したわけではなかった。平気に思えるようになった,とインタビューで語っているのを読んだ記憶がある。そのプロセスがどうであったかはさておき。

赤い公園のパブリックイメージに,ライブでのMCや「情熱公園」は少なからず影響を与えていたように思う。もちろん,一定のファンにとってもイメージとはいえ。

水戸の物販ブースにいたメンバーとファンとのやりとりは,ライブハウスで見慣れたタッチとはどこか違うのだ。

その後,家内と娘は六本木EXシアターでのライブを観に行った。私は同じ日,踊ってばかりの国のライブを観た。それにしても,やるせないモヤモヤ,はなんだろう。

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