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青山君は当時,16歳くらいだっただろうか。痩せて背が高く,短く切った髪の毛とくるりと丸い目が特徴的だ。薬のせいなのか,狭い歩幅で前傾姿勢でフロアを歩く。バイトの私にもとてもていねいな対応で,しっかりしているなあという印象だった。

非道い家庭内暴力のために入院したと申し送り用紙には記されていた。そんなふうには見えない。ただ,入院している患者さん一人ひとり,はたしてそんなふうに見えるのかよくわからない。いじめに遭ってしまったと聞いた気もする。ときどき「うるせえんだよ」と独り言する青山君を見たものの,そちらを本当の青山君だと思えなかった。何かにとりつかれて表情を操作されていると訴えられたこともあった。もちろんそちらも本当の青山君だとは思えなかった。病棟で出会ったからなのだろうか。

しばらくすると,入院当初に比べ,はるかに気のいいふつうの青年のように感じるようになった。カウンターにやってきてはロックの話をして帰り,さらにしばらくするとカウンターに来なくなり,自室で本を読みながら過ごすことが多くなった。本当はこういう青年だったのだろうなと思った。

病棟には症状というか目立つ行動をとる人が少なからずいたので,青山君は「手のかからない患者さん」になっていった。受け持ち看護師は,外泊を続けながら退院という計画を立てていたはずだ。しかし入院後,最初の外泊から帰ってきた青山君は表情が硬かった。あの何かに操作されている表情に似ていた。調子が悪そうだ。

付き添ってきた両親に医師と看護師が外泊中の様子を尋ねた。家庭内暴力をふるったそうだ。どうしてうまくいかないのでしょう,どちらかが一人ごちた。深夜勤のとき,看護師と青山君の話になった。看護師は,両親を支援する必要性を感じていた。でも,私たちにできることは,患者さんにかかわり,患者さんをとおして両親にかかわることだからねえ。まだ家族看護学が生まれていない頃のことだ。

他の患者さんに比べると青山君は,それでも外泊を通して,体調を整えることができた。退院の決定まで1年くらいかかった気がする。もしかすると,何度か入退院を繰り返したのかもしれないが,そのあたりの記憶はない。自宅で両親とどのようなやりとりがあったのか,バイトの私は知るすべがなかったし,このまま退院になり,それで病院と関係することにならなくなれば,それが一番だと,そんなふうにほとんどの患者さんに対して接していたので,全体,あいまいなのだ。

以前,青山君のことを書いた気がする。一度,病院に戻り,持ち物を整理してそのまま退院というタイミングで亡くなった。30年以上前のことだ。20歳になることがなかった彼が生きていれば50歳を過ぎている。

青山君のことをときどき思い出す。ただ,歳をとるごとに,両親の気持ちを想像するようになった。

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