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おそろしい寒さ。19時過ぎに退社。寄り道する気にはなれない。テレビを観ながら夕飯。早めに寝ようと思ったものの,0時過ぎになってしまう。

石森章太郎の『世界まんがる記』を読み終えた。昔から,この本のタイトルが意味するところは何なのかよくわからなかったことを思い出す。旅行記が好きで何冊も読んできたものの,筆者が石森章太郎だという先入観があるからかもしれないが,これまで読んだなかでかなりおもしろい部類に入る。

それまで貯めたお金に出版社から前借までして,70日かけて世界一周旅行に出かける。1960年代早々に,ツアーでなく,23歳のマンガ家の選択としては吹っ飛んでいる。矢作俊彦が「百愁のキャプテン」を書くにあたり資料をあたっていたとき,明治期の日本人は,想像しているより遥かに海外と行き来していたことに気づいたと,どこかで語っていた。「nobody」のインタビューだったかもしれない。それが徐々に海外に出なくなり,戦後もその流れは続いていたような気がした。

話がそれてしまうものの,この10年ほど,新たなジェンダー論が百花繚乱だけれど,ある社会学者の意見として,戦前・戦中までの女性は想像しているよりはるかに強かったのではないか,と聞いたことがある。「戦後 女と靴下は……」などと,フォークルを通して聞いた身としては,そういうとらえかたもあるのか,と。別の方は,高度成長期とは果たして高度成長とだけとらえてみても,そこから零れ落ちるものがたくさんある,と。1960年から70年代早々の時期に何が後退していったかをみる必要があるとうかがった。なにをどのようにとらえて,事実と照らし合わせていくか。

閑話休題。

で,石森章太郎は天才だった。もしかすると,その人生のどこかから天才ではなくなってしまったかもしれないが。努力して天才になったわけではなく,もともと天才だった。子どもの頃,たぶん,なにもかも未分化なまま,そこに惹かれていったのかもしれない。以来,何度も「こんなはずでは」と思わされながら,最後まで天才・石森章太郎の足跡をたどろうと思った。

『世界まんがる記』を読み返しながら,何度か,やっぱりすごいなあ,と感じた。

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