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雨が降るかもしれないということで傘を携えて出社。20時過ぎまで仕事をして帰る。電車は朝のほうが比較的空いている。帰りは混んでいる印象。

通勤の行き帰りに黒岩重吾の『飛田ホテル』を捲る。2話目まで読み終えた。これと比較すると,開高健は実に立派な小説家だったのだなと思う。

島田一男の「銀座特信局」シリーズをたのしみに読んだのは40年近く前のことだ。春陽文庫で赤カバーが出始めた頃。他のシリーズに手を出さなかった。キャラクターが魅力的で,物語も面白く感じた。ただ,登場する記者のなかの「加藤」だったかが,結核菌持ちで妻がいるという設定で,水商売の女性とはキスするものの,家庭にはその手のことは持ち込まないという設定が少しずつ気になってきた。物語だから,とはいえ,妙な倫理観(ではないが)だな,と。

その後,10年以上経ってから,結城昌治や三好徹,松本清張,水上勉などの小説を読むたびに,世の中に水商売の女性がいなかったら,推理小説の被害者はどれだけ減ったことだろうと思うようになった。社会派推理小説の隆盛後,被害者役として水商売の女性をあてはめる小説が本当に多いのだ。

私にとって,水商売の女性の印象は矢作俊彦の小説を通して固まったので,社会小説で描かれる被害者,時には加害者としての水商売の女性は,あまりにかけ離れたものというか,粗雑な人物造形だなとしか思えなかった。そのうち,矢作俊彦のように職業を横のクラス・差異として描くことは稀有なものなのだと気づいた。ほとんどの小説家は憐憫や思慮に乏しいものとして扱う。唯一,半村良の小説は,意外に職業をクラスとして扱うものがあるけれど,他の小説家にとっては,物語をすすめるうえで都合よく用いられた印象を受ける。

黒岩重吾の『飛田ホテル』も,まるで矢作俊彦が言うところの“よい米兵”の臭いが強い。同じ素材を扱っても開高健ならば,このようには書かなかっただろうなと,読みながら何度も思った。

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