三代

隣に住んでた人が東京で修業して帰ってきたんですよ。「跡取り息子以外が採用しないところだけれど,今度北海道にくるというから紹介しようか」って言われたら,その気になってしまって。高校2年のときに店長が来たんです。それで挨拶に行って,修業したいとお願いしました。開口一番「うちは跡取り息子以外とらない」と。私のところは親,サラリーマンですから。「でも,どうしても修業したいなら,3年の終わりに連絡してきなさい」。私は早く高校3年が終わらないかな,って気分ですよ。

それで3年の秋にもう一度,お願いの連絡したところ了解してくれて。3月に飛行機で羽田に着いたんです。両親,弟もこんな機会ないからといって着いてきた。そうしたら迎えにきた店長の車がベンツ。へぇ,床屋でベンツに乗れるのかと思いました。

寮は二人一部屋で6人くらいいたかな。それ以外にも自宅から通ってくる奴もいて,そのなかで一番できる奴は跡取り息子でしたね。こ奴が店を任されるのかなぁって思っていたら,3か月で夜逃げ。実家に連絡したら帰っているというから,店長のベンツ運転していきましたよ。母親が出てきて,「子どもは私が教えますので,申し訳ないけれど勘弁してほしい」,本人は結局,出てこなかった。店長は厳しい人だったら,激怒するかなと思っていたら「わかりました」,私に向かって「帰るぞ」。不思議だったので帰りの車中で「どうして連れて帰ってこなかったんですか」と尋ねたら,「ああいう親はダメだ。連れて帰ってもまた逃げる」。そういうこと,経験からわかってたんですね。

修業は大変だったけれど同期が実家を継ぐために1人帰り,2人帰り。いちばんできる奴が帰りそうだったので,奴より残っていたらまずいと思って先に辞めました。

4年前,地元に親を残してかみさんと二人で東京に出てきたんですが,さすがに使ってくれとはいえず。でも挨拶はしておかないとなと思って,今の店長の代になっていましたけれど,伺ったら,「どうするんだ」と聞かれて「これから探します」と言ったら,「ちょうど人が足りないので,またやってくれないか」と言われて驚きましたよ。この世界,なかなか出戻りってありませんから。

社長になって店にほとんど立ちませんし,今の店長は修業から続けてきた人ですんで,三代続いた床屋もどんどん変わっていきますよ。若いスタッフも多いでしょう。私みたいのは,それでなくてもめずらしい。

という話を聴いた。

かぜ気味

寒くなったり暑くなったりが続くためだろうか。かぜ気味が続く。

土曜日は一度起きて,また少し眠る。昼は家内と中井のKURIKURIに行く。買い物に行く家内とわかれ,新井薬師前の文林堂書店に。店頭に並んでいたバルデュス『砲火』(上下,角川書店)を買い,高田馬場まで戻る。恵比寿で降り,歩いて北里大学まで。打ち合わせを済ませて,新宿から東中野に行き,ブックオフで古本を買う。山手通り沿いの中華料理店で夕飯をとり,家に戻った。

日曜日は,9時過ぎに家を出た。途中で床屋の予約するため電話したところ,昼までいっぱいだという。新大塚のグループ店に連絡したところ,11時で予約がとれた。新大塚駅前の江戸深川珈琲本舗 新大塚店でモーニングをとる。床屋を終え,高田馬場で家内と待ち合わせ墓参りに。西船橋で昼食,船橋でバスを待ち,馬込沢まで行く。戻ってきて船橋で休憩。買い物をして娘と待ち合わせている高田馬場に戻る。夕飯をとり,家に戻って「シン・ゴジラ」を見た。

結城昌治『あるフィルムの背景』を読み進めている。後味の悪い話ばかりだけれど,巧いなあと思う。

花粉症

春先にすすめられた花粉症の舌下免疫療法をはじめてみようと思い,会社帰りに駅前のクリニックに行った。

30代~40代前半の医師が数名いて,かなりていねいに診察,説明を受けるので,このところ利用している。滞りなく説明が終わり,採血のために待合室に少しだけ戻る。呼び出しを受けて処置室に入り利き手の反対側というので右手を出す。なかなかうまく針が入らないようで,結局,一度刺した針を抜かれ,利き手で再度とられた。ただでさえ注射・採血は苦手なのに,ミスされるとめげてしまう。

駅前の書店で結城昌治の文庫を買おうと思い,新刊棚をチェックしたが見当たらない。結局,伊野尾書店に立ち寄り,結城昌治『あるフィルムの背景』(ちくま文庫),ついでに書肆侃侃房「ほんのひとさじ」をピックアップ。みちくさ市で,文庫だけのささやかな「結城昌治フェア」でもやろうかと思いつく。

新しくできたアジアン居酒屋で休憩。ハイボールと枝豆,シークカバブを頼む。枝豆の量が多くて,家に帰ってから夕飯を食べられるか心配になった。

花粉症の治療は3年かけて行ない,月3,000円程度だそうだ。発症してから毎年,きついので少しでも症状が和らぐとよいのだけれど。

話はある

午前中,西船橋での打ち合わせに直行する。改札で筋金入りのアマチュア・フォークミュージシャンと待ち合わせ,もちろん仕事の件で同行となる。打ち合わせを30分ほどで終えた後,駅の喫茶店で確認事項を詰めて別れた。昼近くになっていたため,北口へ降り,14号線沿いの居酒屋で軽めの昼食をとるつもりが,出てきたのはかなりボリュームのものだった。会社に戻り,仕事。久しぶりにブックオフを覗き,数百円分買って帰る。斎藤貴男の『ルポ 改憲潮流』(岩波新書)をずっと捲っている。

仕事柄,他人の話を聴く機会が少なくない。ほとんどが医療・福祉職との会話で,ただ聴いているだけではなく,長文かつ結論が最後の最後にくるような話し方で返してしまうことがときどきある。

自分から,あれこれ立ち入ったところを詮索して尋ねるのは苦手だ。たとえば3時間,話を聴いたとしてもその人の生い立ちひとつ知らないままということは,実のところめずらしくない。反対に,大変な生い立ちを話されても,その手の話に対するには,方程式の解のようなリアクションがあるのかもしれないと思いながらも,いつもと同じように聴くばかりだ。

少し前,福祉系の仕事をする女性から話を聴いた。仕事の話から始まったのに,いつの間にか,その人の日常について1時間くらい聴くことになってしまった。30歳くらいで,話に登場するのはお母さんと姉弟,そして彼氏さん。最近の若い女性が「彼氏さん」という言葉を使うことに気づいたのは少し前のことだ。「彼」でも「彼氏」でもなく「彼氏さん」。「彼氏さん」と発音されるたびに,微妙な距離感を感じてしまう。

地方に育ち,そこで働いている。小さい頃,お母さんから「林」のあたりは危ないので近づかないように,くりかえし言われたそうだ。田畑が途切れ,山までいかない手前に取り残された「林」。林が残っているあたりは閑散としている。だから事件が起きやすと,言われてみればそうなのだろうなと思う。

通学途中に事件に巻き込まれないよう,遠くの高校に通うことは許されなかった。そのことは語るのだけれど,だから入った高校はどこだ,という話にはならない。もちろん私は尋ねない。

話は日常に飛んで,ワンルーム暮らしで,趣味はセーラームーングッズとポケモングッズ集めだという。彼氏さんは,艦コレグッズに目がないそうだ。二人ともゲームも趣味。彼女はオンラインゲームは卒業したけれど,彼氏さんはオンラインゲームに課金している。そのことを彼女はあまりよく思っていない。

10年くらい前,彼女もオンラインゲームにはまっていて,ゲームを通しての友だちが何人かできた。ところがネットで中傷を受けたり,よい思い出ばかりではないようで,自分からはネットへの書き込みはしなくなり,いきおいオンラインゲームに時間を費やすこともほとんどなくなった。ときどきログインしてみると,当時の友だちが続けていて,1時間くらい相手をするのだそうだ。

ゲームに疎いので,どんなものかわからなかった。話を聴いているうちに,仮想ネットワーク上で遊ぶゲームみたいなものではないかと見当がついた。1時間くらい,洋服をつくって,それを友だちに「あげる」のだそうだ。

グッズを探すのはヤフオクで,ただ競り合わずに即決で買えるものにしか手を出さない。最近,足湯に使える折りたたみバケツを2つ買った。彼氏さんはフィギュアを買っては自分の部屋に置ききれなくなって彼女のワンルームにもってくるのだと。見た目はかわいいから玄関のスペースに飾らせてあげているようだ。

オンラインゲームと聞いて,星野源の話を振ったら,よく知らないという返事。お母さんはジャニーズファンでテレビをよく見ているから知っていると思うけれど,と。彼女はテレビをほとんど見ないのだそうだ。

いつ仕事の話に戻るか,少しひやひやしながら,こんなふうに1時間ほど話を聴いた。これはかなり特殊なケースで,いつもこんな調子で打ち合わせをするわけじゃない。

宇都宮

東武線経由とはいえ,往復2,000円もかからずに宇都宮まで往復できる方法があることを知った。今回は池袋から東武宇都宮まで往復1,932円だった。事前に入手したチケットを携え,カートを引っ張りながら高田馬場,日暮里,北千住と乗り換えを続ける。

南栗橋,栃木でさらに乗り換え,宇都宮に向かう線に入ったあたりで雨が降り始めた。家を出たときはシャツ一枚で十分な暖かさだったものの,駅に向かう途中のクリーニング屋でとってきたダウンジャケットが必要なくらいの寒さになってきたので羽織る。

15時過ぎに東武宇都宮に到着。オリオン通りに入るまでの少しの間,雨が強くなる。通りを進むと,レインボーブックスさんがいるのを発見。挨拶して,バス通りに向かう頃には小降りになっていた。宿泊先までバスで行く。私が卒業した中学校のすぐ裏手にある施設なのだけれど,当時からそんな施設があったかどうかさえすっかり忘れている。

チェックインを済ませ,荷物をほどくと17時を過ぎてしまう。明るいうちにあたりを散策しようと思ったものの,あまり時間がなさそうだ。とりあえず中学校とその裏手にある神社を覗く。バスで駅まで向かい,30年以上ぶりで卒業した高校まで行ってみることにした。平成通りという,その名からして,当然一度も通ったことのない通りをバスで進む。今は中高一貫になったというが,恩師がいるわけでもないので,サッサと駅まで戻る。

駅の近くの焼きそばとタイ料理の店に入る。宇都宮は焼きそば屋というのが意外と多い。学生時代,一皿200円,300円ほどと安くて,擂った白ゴマと胡椒をかけて食べる焼きそば屋によく行ったことを数十年ぶりで思い出す。レモンサワーと餃子に焼きそばを頼み,日本シリーズを眺めながら飲む。つい落ち着いてしまい,宿泊先に戻ったのは22時くらいになっていた。本の整理をした後で眠る。

起きたのは7時過ぎ。シャワーを浴びて荷物を整理。チェックアウト後,バスで県庁通りまで行く。朝食をとる店を探していて,ブラジルコーヒーショップに入る。最初はまったく忘れていたけれど,二階に続く階段の下あたりの席の様子に見覚えがある。高校時代,栃木会館で美術部展を開いたとき,何度か入った記憶が蘇ってきた。モーニングを頼んだ。帰りがけ主人と二言三言話す。昔の福田屋デパートに居抜きで入った店の4,5階にセリアがあったので,値札用の付箋と本を拭く雑巾を買ってオリオン通りに行く。

オリオン☆一箱古本市の様子は別サイトに記したので繰り返さないけれど,よく売れたし,話も弾み(お隣の店の84歳の大女将さんと),とてもたのしい一日だった。おかげで帰りの荷物は軽くなった。17時に終了予定だったものの,人通りが少なくなってきたので30分前に片づけ始めた。昔,出張に出るときは,自社の雑誌やパンフレット類を重いと思うくらい持っていく社風だった。そうすれば,帰りは少しでも軽くしたいから,いろいろな施設で飛び込みでも話を聞いてくる動機づけになるという理由だった。一箱古本市の場合,売れなかったらシャレにならない重さなので,同じような理由から「重いと思う」ほどは箱に詰めたくない。結果として重くなってしまうだけだ。

運営事務所に挨拶を済ませ,オリオン通りを東武に向かって歩くと,以前,パルコがあったあたりが広場になっていてジャズライブが始まっていた。中に入り,200円でレモンサワーを頼み,数曲聴いた後,広場を出てオギノラーメンに行き,みそラーメンを食べた。

帰りの東武線は,新栃木から日光帰りの客で混雑。北千住,日暮里で乗り換え,池袋で定期を継続して,家に着いたのは20時過ぎだった。

年に一度,宇都宮を訪れるのが面白くなってきた。

Top