居酒屋

平沢進のライブの帰り,雨のなか月島で降りて居酒屋を探す。昌己はしばらく月島にきていないようだし,工事→タワーマンションへと一直線の区画がいくつもあるから全体,雰囲気で覚えていた店さえもわからなくなって不思議じゃない。

2ブロックほど歩いて,ここにしようかと決めたのは「牛若」。ちょうど客が出てきたので,入れそうだと見込んだものの,先に三人連れが待っていたことには気づかなかった。彼らが入った後,カウンターに二人分の席を確保してもらった。

L字型のカウンターがメインで,奥に小さな座敷がある。チューハイと焼酎ロックで始めた。21時半くらいに入ったときはカウンターは満席だった。カウンターの内側と外側がよい距離感で,はじめての客でも居心地がよい。私たちがいつもの調子でだらだらと飲んでいると,一人去り,二人去りで,23時のカンバンの時間に客は私と昌己の二人だけになっていた。

実家のレコードをどうやって処分するか,亡くなった先輩の話,あちこちに散らかりながら,そうやって話すといつも忘れていたなにかしらを思い出す。

「牛若」は創業37年だったかで,このあたりでは古手の店なのだそうだ。何度目からの再開発を嘆き,店を出たときにはまだ雨が降り続いていた。

小さな音のテレビがBGMで,何だかとても居心地のよい店だった。

S60

矢作俊彦の短編集『死ぬには手頃な日』を読み終えた。「バウワウ」から「死ぬには手頃な日」まで読み,「A DAY IN THE LIFE」にもどって「バスルームシンガー」で一冊読んだことになる。

平沢のライブに行って,矢作俊彦の小説を読み,坂口尚や倉多江美の漫画に目を通す。昭和60年代の始まり頃とまったく同じようなことをしている。自分であまりの進歩のなさに愕然とする。

その後,『舵をとり 風上に向く者』を読み始めたところで,雑誌に短編連載という形式(先にまとめられた『ブロードウェイの自転車』も同様だけれど,掲載誌は2誌にわたっている)は,はたして一般的なのだろうかと思った。村上春樹が「イン・ポケット」に『回転木馬のデッド・ヒート』にまとめられる短編を時々掲載していたときにリアルタイムで読んでいたものの,連載という感じは受けなかった。推理小説やSF小説であれば,最終話にどんでん返しを仕込み「連作」風に仕立てることもできるだろう。

『ブロードウェイの自転車』はアーウィン・ショーやオー・ヘンリーのようなニューヨーカー短編集,『舵をとり 風上に向く者』『夏のエンジン』は自動車をテーマにした都市小説というくくりは可能だけれど,いつかヘミングウェイでいうところの“ニック・アダムス物語”に相当する小説の受け皿として用意されたと位置づけたほうがピンとくる。

すでに発表された矢作俊彦の小説を,ニック・アダムズ物語に準じて,6歳頃/16~20歳/20代後半~30代くらいのくくりでまとめることが無理ではあるまい。と,書きながら,これは矢作俊彦自身で,「ウリシス911」としてまとめた作業を再びばらすような所作かもしれないと思った。もちろん,「ウリシス911」はいまだ単行本として陽の目をみていないものの。『私を月まで連れてって』さえも。

  • TOUR,TOURER,TOURING(『舵をとり 風上に向く者』)
  • ボーイ・ミーツ・ガール(『夏のエンジン』)
  • 暗黒街のサンマ(『東京カウボーイ』)
  • 鉄とガソリン(『舵をとり 風上に向く者』)
  • 愛と勇気とキャディラック(『舵をとり 風上に向く者』)
  • はじめて彼が死んだ日(『舵をとり 風上に向く者』)
  • 冬のモータープール(『夏のエンジン』)
  • 大きなミニと小さな夜(『夏のエンジン』)
  • A DAY IN THE LIFE(『死ぬには手頃な日』)

平沢進

ああ,1988年のインクスティック芝浦での,後にライブビデオ「三界の人体地図」に収められたライブのときも,始まる前はこんな雨だったなと,そのときも一緒に行った昌己と話していると,開演の19時まであと数分。にもかかわらず,相変わらず10番ずつ呼び入れている。困ったものだ。

2000番台を越えたあたりから,それでも20番ずつになり,会場に入ったのはたぶん定時ぴったりころだったと思う。ドリンク券をジントニックに変えて,フロアに入る。前にくるりを見にきたときとほとんど変わらない客の入りだ。これで3日間ほぼソールドアウトにしたのか,と妙なため息をついてしまった。

ミキサーのほぼ後ろに陣取り,中央からステージ全体がきれいに見える。

セットリストは後で貼り付けることにして,今回,平沢のライブを観ようかと思った理由は単純に,平沢以外のミュージシャンがステージ上に3人いるからだ。特にドラマーとの共演は20年ぶりだという。常時演奏するベーシストとの共演となるとそれ以上なのだけれど,今回,チェロはいたもののベーシストはいなかった。

ドラマーとして呼ばれた上領亘は改訂P-MODELに在籍していたけれど,ちょうど私がP-MODELのライブを観にいかなくなった時期なので,演奏を観るのは初めてだと思う。改訂P-MODELお披露目の日比谷野音の日,ちょうど,日比谷公演にいたのだけれど,音漏れを少し聞きながら,家内と夕飯を食べに行ってしまったことだけは覚えている。

ライブは「オーロラ」から始まった。途中,平沢がギターを背負ってソロに入る。ボディに重心を置き,足を交差させながら崩れる感じで回転する。凍結前のP-MODELで何度も見たあの動きだ。63歳の平沢のギターソロを目の前で見ているなんて,当時の私は想像もしなかった。

アルバム「白虎野」の曲は出来がよいので(まあ,アルバムを聴いてしまえば,どれもよい出来になってしまうのだろうけれども),「確率の丘」あたりを生ドラムで聴けるのはたのしかった。平沢のリードボーカルもデータなのではと思っていたら,本式に歌っていて(コーラスは別として),よく声だ伸びるなあと感心してしまった。

私より遥かに若い層が客の中心だ。曲によっては振付をまじえて,まあ盛り上がる。「サイボーグ」が演奏されたのだけれど,アルバム「カルカドル」がリリースされたときに,まだ生まれていないファンだって少なくなさそうだ。歳をとってからどれだけファンを惹きつけたのか,それだけはつくづく感心してしまった。

途中の小芝居ビデオは,西口地下にあった頃の新宿ロフトでのNight’s Bravo!の最後を思い出してしまった。相変わらずこういうのが好きなのだな。

まったく久しぶりに平沢のライブを観たものだから,それはとてもたのしかった。ただ,もろもろを引っ剥がした後に立つ骨格をやはり観たいと思うのだ。

セットリスト

  1. オーロラ3
  2. 確率の丘
  3. CODE COSTARICA
  4. アディオス
  5. 灰よ
  6. 聖馬蹄形惑星の大詐欺師
  7. 生まれなかった都市
  8. パレード
  9. 人体夜行
  10. Siam Lights
  11. トビラ島
  12. 現象の花の秘密
  13. アヴァターアローン
  14. archetype engine
  15. 回路OFF回路ON
  16. サイボーグ
  17. ホログラムを登る男
  18. 白虎野
  19. Wi-SiWi(アンコール)
  20. 鉄切り歌(アンコール)

平沢進

一連のポストはP-MODELの“Perspective”から始まっている。20代の10年にわたって,P-MODEL,平沢進の音楽を通した活動から受けた影響は,10代の私にとってのKing Crimsonと同じようなものだった筈だ。

30代になってから数年,その活動に興味を失い,新譜を追いかけることがなくなった。ソロになってから使う音色の縛りを取っ払ったのはまだしも,結果,箱庭っぽさが強調され,それに曲が追いついていない感じがした。曲が流れる前提にばかり力を注ぎ,曲に面白みがなくなっていったように感じたのだ。

P-MODELのライブは解凍P-MODEL最初の渋谷公会堂まで,平沢ソロは同じく渋谷公会堂のHi-Resまで出かけて,以来,一度も足を運んだことはない。インターネットを通してのライブ配信の際は,それでも何度か見たことがある。フィジカルな面が足りないなあというのがほぼ毎回の感想だ。サポートが入るにしても,それでマジックが起きるわけではない。

今世紀に入ってから,『サイレン』以降,聴いていなかったアルバムを買い,聴いてみた。『救済の技法』は,なんだバンドやりたいんじゃないか,という感じが溢れていて面白かった。『賢者のプロペラ』は曲は悪くないのに音が悪かった。昔買った「太陽と戦慄」の国内盤を思い出す感じがした。

『Blue Limbo』と『白虎野』はリリースされたタイミングで買って聴き,どちらも面白かった。けれど,その後はなぜだかわからないけれど,アルバムを買うことなしに,ネットでとぎれとぎれに聴いても,どこかピンとこなかった。

第9曼荼羅大阪公演を偶然,Youtubeで見て,本式のドラムセットとは異なるものの,パーカッションとチェロのサポートを得た演奏に,欠けていたフィジカルさが戻っているように感じた。チケットを入手するのが大変らしく東京公演も入手できないだろうと思っていたところ,10月6日(金)のチケットを購入できる様子。慌てて昌己に連絡をとり,四半世紀ぶりに平沢のライブをみることになった。

というのが前段。

死ぬには手頃な日

広尾での会議が20時過ぎに終わる。日が落ちてから寒くなり風もきつくなってきた。新宿で総武線に乗り換え東中野で降りた。ブックオフに矢作俊彦の『死ぬには手頃な日』(光文社,1982)が108円で並んでいた。オビはついていないものの,まったく日焼けしていないカバーが美しい。数か月前,同じ趣味の方から矢作俊彦の本を一式,買わせてもらったなかに状態のよい『死ぬには手頃な日』が入っていたものの,これだけきれいな状態を見てしまうと買わずにはいられない。

そのまま歩き,駅前に最近できた韓国居酒屋で休憩しながら,久しぶりに読む。

『マイク・ハマーへ伝言』に似た雰囲気を探し求めていた当時,『神様のピンチヒッター』よりも『死ぬには手頃な日』を読み返すことが多かった。一人称にかぎりなく近い三人称小説としては,その後の『舵をとり風上に向く者』の方が近いものの,単行本どころか連載が始まるまで,まだ時間が必要な頃のことだ。

だから,当初は「A DAY IN THE LIFE」や「レイン・ブロウカー」「バスルーム・シンガー」の3編を繰り返し読んだ。焦燥感をスタイリッシュに描く「レイン・ブロウカー」は特に見事だった。

それに比べると,「バウ・ワウ!」以降の4編を読み返す回数はそれほど多くなかった。こういう小説も書くのか,くらいの感じで読んだことを思い出す。「敗れた心へ乾杯」は,先に読んだマンガ『ハード・オン』(画・平野仁,双葉社)後半のインサイドストーリーっぽくて,短編として読むには設定が唐突すぎるようにも感じた。

40代を過ぎてから,ところが東南アジアを舞台にした2編,そこにアラブとスペインが加わった後半4編(文庫版には同じくスペインが舞台の「挫けぬ女」が加えられている)が突然,面白く思えるようになった。たぶん,高見浩の新訳でヘミングウェイを読むことに衒いをなくしたのがきっかけだったはずだ。それまでは,高見訳の軽さのようなものにどうしても違和感をもってしまうことがしばしばだった。加えて新潮文庫の,まるで講談社文庫を横恋慕したかのような版面と文字のバランスも許せなかったのだ。

慣れてしまえばどうってことはないのだけれど,その一線を越えるには何がしかの勇気のようなものが必要だった。

『死ぬには手頃な日』のおさめられた短編小説(特に後半4編)は,ヘミングウェイの小説に通じる。まだ単行本化されていなかったものの,連載「コンクリート謝肉祭」であからさまに記しているにもかかわらず,矢作俊彦とこのアメリカの小説家の接点を考えられずにいたのだった。「暗黒街のサンマ」も,三輪車で山手の坂道を下る小説も発表されていなかった(『マイク・ハマーへ伝言』に2行ほどで,その手がかりが書かれていたものの)。それらがニック・アダムスものに通じることなど,想像する術がなかったのだ。

そこで単行本『死ぬには手頃な日』に戻ると,本書の装幀を担当した合田佐和子は,そのあたり,つまり矢作俊彦がヘミングウェイ通じることを見据えてデザインしたように思うのだ。でなければ,地色の赤にスミの見返しに闘牛の写真をコラージュすることはあるまい。もちろん合田佐和子の手にかかると,その“ヘミングウェイ”も昭和初期の日本で活躍したようにシンボライズされてしまうのだけれど。

そうだ,少し前のみちくさ市で塩山さんから文庫版を買ったのだ。数えたことはないけれど『死ぬには手頃な日』は,手元に単行本版4冊(うち1冊は増刷版),文庫版2冊あるはずだ。

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