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斎藤貴男の文庫本を読み返しながら,ツイッターのTLを眺めていると,いまどき,現金で支払うなんてバカじゃないか。カードを使えばポイントが貯まるのに,という趣旨の投稿が流れてきた。ポイントで絡め取られるよりも,カードを使わずに自由でいたい,というのでは今どき通用しないのだろうか。もちろんこの場合の「自由」は,「したくないことはしないという自由」だ(リンク)。

ジ・オールゲイトでビールをキャッシュ・オン・デリバリーで飲み,スマホを眺めることなく話し,ときどき,あたりを見回して時間を費やす。そんな間隙をなんだか久しぶりに味わった感じがする。昌己と居酒屋やタイ料理屋で飲んでも同じなのだけれど,「ポケットに何がしかの悪銭を忍び込ませ」となるとC.O.D.のほうがすっきりする。

街中を歩いていても自動的にチェックされ,動いた経路は自動改札で記録される。キセルのルートを想像することに労力を費やすことがなくなって,一体,どれくらいの時間が経っただろう。システムに対する抜け道探し,バグ探しは,どこか自分のアイデンティティの保証につながるような気がしたのはせいぜい20世紀末までだったのだろうか。

イリーガルなことをしているのは自分たちのくせに,徹や喬史は,ものごとのスムーズな成り立ちを支えるものや変化に対してしばしば悪態をついた。怒っているのだけれど,少し考えると,こちらのほうがやっていることは悪いと判るのがほとんどだった。その頃,世の中には不便なことがいつくもあったものの,それゆえに自由にふるまえたのかもしれない。

スイッチャーを探しに秋葉原に出た徹は,駅前で見つけたバッタ屋から,それを手に入れた。

「因縁つけられたら嫌だから,弱そうなおやじを探してたら,こ奴なら万が一のときでも殴って逃げられそうだという感じの奴がちょうどいてさあ。品物が置いてあるっていうビルに一室に連れていかれたんだけど,意外とちゃんとしてたぜ」

「殴って逃げてくるんじゃなかったのか」

「金払って品物を受け取って帰ってきたよ。ポケットで灰皿を握りしめていたけどさ」

匿名性の迂回路があって,そのプロセスでは誰もがフラットな立場でありうるような場を失ったのだ。

薄手のメモ用紙に手書きでオーダーを受け,現金を支払う。メモが厨房に流れ,料理が運ばれてくる。それでおしまい。後はキャッシャー横のメモ挟みに束ねられるだけだ。最少の痕跡で物事が進む清々しさ。懐かしいあの場所を思い出す。

副都心線

土曜日は家内と昼過ぎにスワンベーカリーで昼食。久しぶりだけれど,まったくこの立地で15年以上続けていることに感心する。店内の雰囲気がまったく変わらないのも凄いなあ,と。

芳林堂書店で豊田有恒『「宇宙戦艦ヤマト」の真実』(祥伝社新書)を見つけた。会社に行くつもりで捲っていたら,とりあえず読み終えたくなった。新井薬師まで行きrompercicciに入る。17時過ぎまで読む。
読み終えたものの,あまり面白い内容ではなかった。「宇宙戦艦ヤマト」に関する本は,どうしたわけか隔靴掻痒なものが多い。当事者が書いても,何だかピンとこない内容だから,結局,あの昭和40年代の終わりから50年代の初めにかけてのぼんやりとした時代を言語化しないことには,どうしようもないのかもしれない。まだ『いま語るべき宇宙戦艦ヤマト』のほうが面白かった。

夜は渋谷で先生方と待ち合わせなので,中野まで歩き,新宿で山手線に乗り換えた。センター街は無茶苦茶な人手だ。みな一体,どこをめざしているのだろう。一昨日に様子をみたパブに入り,ビールを飲みながら,あれこれと話をうかがう。まわりはほぼ外人ということに加え,店の主人がとても親しみやすい雰囲気。小説に登場するような感じなのだ。気がついたら23時を過ぎていた。慌てて東横線のホームに降りていく。

山手線の改札に戻るのが面倒だったので,副都心線で西早稲田まで出て,高田馬場まで歩き,家に着いたのは0時を過ぎていた。

日曜日は,午前中起きたものの昨日のビールが残っていてすっきりしない。横浜元町に家内と出かける予定だったが,先に行っていてもらう。14時前に家を出て,元町に15時に着いた。渋谷の東横線の乗り換えは,地下への移動のときに比べると,いくらかスムーズになったのだな。

ecomo BAKERYで昼食代わりにケーキとコーヒー。元町でシャツと靴を買って,裾上げを終えたトラウザーズを受け取る。しばらく通りの店を見た後,JEREMY’Sギャラリーカフェで休憩する。ジャズフルート奏者でドローイングアーティスト・ジェレミー・スタイグのメモリアルギャラリーで,2020年までの期間限定オープンとのこと。いい感じのお店だった。

娘は友だちと夕飯をとると連絡があった。帰りは今日も副都心線で西早稲田まで行き,高田馬場で夕飯をとった。

便利といえば便利なんだけれど,副都心線を日々利用する生活というのは,どうなんだろう。

IPA

朝から調子の悪さは変わらない。夜半からの雨は朝には落ち着いたものの,夕方から再び激しくなる。少し小降りになった頃を見計らって会社を出た。

渋谷で降り,センター街を進む。傘の間を縫っていくからだろうか,いつもより人が少ないように感じた。目印のビルを見つけた。土曜日に来る予定のパブに入った。

全体にウッド感(そんなものがあれば)が漂う。入って左がスタンディングスペースで,その斜め向かいをカウンターがゆるくL字型で囲む。19時前だというのに,カウンターには4人ほどの外人がすでに陣取り,いい感じに酔っぱらっている。ボックス席は5つ。3,4つの丸テーブルそれぞれに高めのスツールが4脚据えられている。ライトは暗すぎず,何よりもすべて禁煙というのがめずらしい。

とりあえず丸テーブルに座った。IPAとマッシュポテト,うずら豆の揚げ物をオーダーする。しばらくすると,少しずつ客が増え始める。入口近くのスタンディングスペースには日本人が固まっていて,奥は外人がほとんどだ。丸テーブルの自分が少し場違いに見える。

お代わりを飲みながら,サッカー中継を眺める。あっという間に1時間が過ぎてしまった。

20時過ぎに切り上げて外に出た。雨は止んでいる。ブックオフを覗き,秋田書店サンデーコミックス版の「サイボーグ009」を2冊買った。

夕飯を済ませ,渋谷駅まで歩く。新宿で総武線に乗り換え,東中野で降りた。再びブックオフに入ったところ「人間雑誌」1~9が均一棚に並んでいる。吉田司の「下下戦記」の初出誌だ。他にも上野英信や林竹二の連載もある。まとめて購入し,歩いて家まで帰った。風が強くなっていた。

情報

何でもかんでも気圧のせいにすればよいというものではないものの,調子がよくない。19時くらいに仕事をしまい,totoruで休憩してから帰る。

那智君から渋谷のブリティッシュ・パブについてのメールが入っていた。調査結果は以下のとおり。

音楽鳴ってます。ハードロックみたいなダサいの。
パノラマ写真とりましたけど暗くてわかりにくいでしょう。
私の後ろがカウンターです。
店員は一人です。
4人がけの席が4つ。
丸テーブルで4つ椅子の置いてあるのが1つ。
6人ぐらい座れそうなテーブルが1つと、
あとは2人がけのテーブル席が4つと、
丸テーブルで足の高い椅子が2つ置いてあるのが6つ。
私が座っているのが、横に長いカウンターみたいなテーブルで、8人座れる感じ。
あとはカウンター。カウンターは椅子が6個あります。
今日だったらまったく普通に喋れます。
今、客は12名、うち外人2名。
〇△■のビールは瓶のやつを飲んだことがあってうまいです。
高いのでなかなか買えないですが。
ここでは1000円で1パイント飲めます。ただ、アメリカサイズのパイントなので少ないです。
週末は結構混むと店員が言っています。金曜日とか混むとのことです。

って,那智君,編集者などやっているよりもハードボイルド小説に登場するような探偵になったほうがよいのでは? と思った。私は知人に頼まれたからといって,こんなふうにチェックしてメールを出す能力はまったく持ち合わせていない。メールをblogに保存する趣味もないのだけれど,あまりにすばらしいので転載した次第。すっかりこちらが依頼人になった気分だ。どうも,ありがとう。

Millennium

国難突破自動改札を抜け,国難突破整列乗車をして出社。初手から「強行」の二文字が意図的に消された造語だから,まったく突破できる感じがしない。

週末の打ち合わせというか暑気払いに予定している渋谷のブリティッシュ・パブをチェックしておこうかと思った。この前に行った六本木のブリュードッグは週末だったこともあり,かなり雑然としていて,話すのに疲れてしまったのだ。

途中で,那智君に連絡してみて,もし行ったことがあるなら様子を尋ねればよいと思い直し,渋谷を経由することは止めた。高田馬場で休憩し,ブックオフで斎藤貴男の本を買い,反対側のブックファーストでWindows10に関するムックを手に入れ読みながら帰る。と,準急にのってしまい鷺ノ宮まで連れて行かれた。家に戻り,那智君にメールすると,行ったことはないものの一度,行ってみたかったので,明日の会社帰りに様子を覗いてきてくれる,とのこと。ありがたい。

このところ斎藤貴男の本を何冊が続けて読んだ。2000年前後にまとめられた本が多く,初出は1996,7年から2004年くらいまで。当時としてはさまざまな警鐘が鳴らされているものの,まだマシだったのだが実感で,まあその後,どれだけ非道い世の中になったのだろうか,と。

2000年前後とは私にとっては,子どもが生まれ,引っ越しをした時期に始まる。その後,小学校に上がるあたりまで,生活の中心は間違いなく子どもであって,覚えているのは子どもに関係することばかりだ。他にいったい,何をしていたのか,どんなものに興味をもったのか,すっかり記憶から抜けている。

Webに記録を上げ始めたのが2003年だから,その後はなんとか手がかりがあるものの,「今日のことは書かない」なんてばかなことをしていたので,せっかく手がかりになるはずが,役に立たないポストだらけだ。

大学時代からはじまる7,8年についてはさまざまな記憶が残っている。ほとんど記憶にないのは高校時代だ。あの三年間の漠然とした感じは自分のことであるにもかかわらず,他人事のような手ごたえだ。

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