元町

20数回目の結婚記念日。とりあえず毎年,夕飯だけは外で食べることにしている。

家内と娘が,午後から横浜元町のチャーミングセールに行くので一緒に出掛けた。ところが高田馬場に着いた途端,事故のため山手線が止まっている。仕方ないので西武新宿まで乗る。中途半端な時間になってしまったため,伊勢丹会館で昼食を済ませる。

新宿三丁目から副都心線で元町・中華街まで。それにしても一本で行けてしまうのだから便利になったものだ。

出たのが遅かったので,元町に着いたのは16時くらいになってしまった。後で落ち合うことにして,通りをぷらんぷらんする。元町自体を歩いてもあまり面白くないので,石川町をめざす。昔は駅前に古本屋があったんだけれど,当然,いまはない。駅を越えたあたりから賑やかな音が聴こえてきたので進むと,石川町音楽祭の真っただ中。屋台でビールを買い,飲みながらしばらくステージを聴いた。バタ臭い感じが昔ながらの横浜っぽいものの,数曲聴けば十分だった。川沿いを元町のほうに戻り,横浜銀行のロビーで少し休む。ここは冷房が効いて,椅子が空いているので,この時期,いつも休むときはここに入る。

商店街を歩いていると娘と家内と合流した。少し買い物をして夕飯の店を探す。スタージュエリーカフェに入り,簡単に済ませた。

帰りは西早稲田で降り,高田馬場まで歩く。よく歩いた2日間だった。

Walking

午後から事務所で仕事。といっても,少し残っていた作業を済ませただけなので,夕方には終わった。来る途中に池袋ルミネのくまざわ書店で「フリースタイル」を見つけて購入。見つからなかったのは発売前だったからのようだ。宮谷一彦と矢作俊彦の対談(インタビュー)が無茶苦茶面白い。ここ1,2か月で矢作俊彦のエッセイ,インタビューをどれくらい目にしたことだろう。小説はさておき。

午前中までの雨が上がり,すごしやすくなってきたので,久しぶりに歩いて帰ることにした。

お茶の水女子大学の横から講談社の前に抜ける。右に折れ,不忍通りを左折し,最初の二股を目白方面に入る。歩いて帰るとき,このあたりの高速道路高架下が燻っていて,歩くのが躊躇われる。そこを越えれば日本女子大学の横を過ぎ,不忍通りが目白通りにぶつかるところまでくると先が見えてくる。

目白通りを雑司ヶ谷のほうに進まず,目白台を下る。それにしても非道い勾配の坂ばかりだ。下り終えて,しばらく歩くと新目白通りにぶつかる。都電の早稲田駅の手前あたりから緩い坂を登って早稲田通りを右折して古本屋を覗く。

藍書店で三好徹の『沖田総司』(講談社文庫,上下)を40円,勁草書房の本を50円で購入。さとし書房で水上勉『くるま椅子の歌』(中公文庫)を見つけた。古書現世で出口裕弘『京子変幻』と『鶴見俊輔の仕事①』。久しぶりにこのあたりの古本屋に入ったところ,ブックオフとは違うなあと感じ,とても心地よかった。

そのまま駅のほうに進み,中華一番で休憩。高田馬場駅で家内,娘と待ち合わせ,夕飯場所を探す。店を探しながら小滝橋方面に進むと,野菜と果物にこだわったと思しきカレー屋を見つける。というよりも,店員が店先で案内していたのだけれど,どうやらそれが店長らしく,一人で店をきりもりしているらしい。

久しぶりにみつけた妙な店で,とにかく店長のキャラクターが独特で面白い。21時くらいまでいて,そのまま神田川沿いを歩いて帰ってきた。

素人

Webで検索していると,ときどき違和感をもつことがある。20世紀の終わりに,同じように検索をかけていたとき,素人のページは弾いていたことを思い出すのだ。

その頃,書肆情報は紀伊國屋書店のサイト,もしくはつくられつつあった外からアクセス可能な図書館のサイト,他にアクセスするのは小説家・ミュージシャンなどの個人・事務所サイト,仕事でチェックが必要なサイトくらいだった気がする。音楽を鳴らすのは大変だったし,動画なんてなおさらだ。それらが一般的になるまでには時間が必要だった。

データベースをアップしているサイトは重宝したものの,その正確さを保証するものは何もない。自分の感覚を頼りに情報を探した。一日中,Webを見ていられるほどに情報量は多くなかった。検索をかけると出てくる個人サイトはだから,ある時期までとても邪魔だった。今でこそ,(仕事で原稿書きをしていない)素人の書評に面白さを感じるのはあたりまえになったものの,当時は素人の原稿を読む習慣自体がなかった。本や雑誌で目にする文章は100%近く,編集者やそれに類する人の目でチェックされたものだった。30歳を過ぎるまで,一個人が書きなぐった(ここにアップしているような)文章を,他人が読むことなど,できはしなかったのだから。いや,読もうとは思いもしなかった。

検索して出てくるサイトをチェックしながら,プロのサイトばかり探していた。21世紀に入る前後だっただろうか,それが混濁してきた。「VOW」がWebに移行したような雰囲気が登場したのだ。初手から,素人であろうがプロであろうが,サイトは等価だったはずなのだ。ようやくWebの当初の意図は成し遂げられようとしていた。

それから15年以上を経て,サイトの等価性は結局,広告産業にすっかり刈り取られてしまったように感じる。

月島

夕方から月島で打ち合わせ。

一度か二度は来たことがあると思うものの,地下鉄を降り,改札から直結するビルに入り,待ち合わせ場所に着いても,まったく場の雰囲気がはっきりしない。田園都市線の奥あたりのような感じもするし,千葉郊外の雰囲気もある。

一通り打ち合わせを終え,地上にあがった。家内と待ち合わせているので夕飯の場所を探す。西仲通りをめざすと,左手にワンブロックまるまる再開発中の殺伐として景色だ。右手に建ち並ぶタワーマンションを仰ぎ見る。通りに入り,もんじゃ屋の間をぶらぶらしながら覗く。きれいに整備された通りの裏手には,その昔,四方田犬彦が『月島物語』で描写したような軒の連なりが,それでもまだ残っている。

数本の通りを行き来しながら二往復したものの店は決まらない。もんじゃ屋が多すぎるのだ。打ち合わせの主が「時間がったら佃のほうまで行ってみるといいですよ」と言っていたので,隅田川まで歩く。右手に折れ,昔の船着き場後の先まで行った。波の音と水面の美しさに,思わずiPhoneを取り出し撮影してしまった(BGMはAbyssal Plains“Orange River”)。

 

19時過ぎに家内がやってきたので,通りの角にあるチーズとワインの店で夕飯をとった。店の窓から見える向こう側は,何だか麻布十番あたりに似た景色だ。もちろん坂のない麻布十番だけれども。

帰りは大江戸線で乗り継ぎなしに帰ってきた。地下鉄一本で月島までつながっているなんて。

iPhoneのOSを更新しながら,動画を編集していたら一日が終わった。

三連休

台風が近づいたり遠ざかったりすると気圧の変動が激しい。いきおい頭痛はじめ体調が悪くなる。

金曜日は昌己とサワディーで待ち合わせ。しばらくすると奥さんがやってきて,しばらく飲んだり食べたりした。21時過ぎに出て,妙正寺川沿いの居酒屋に移る。とても感じのよい居酒屋だった。10月の初めに平沢進のライブに行くことにした。とっくに完売だろうと思っていたチケットが残っていたのだ。ただ発券したところ2,400番台。スタジオコースト3デイズでどれだけ客を詰め込むつもりなのか。

私はHi-Res以来,昌己は解凍P-MODELの渋谷公会堂以来だろう。いずれにしても四半世紀ぶりに平沢のライブを見るのは感慨一入だ。

土曜日は接近する台風のおかげで一家して調子が悪い。昼くらいに起き出して,掃除をしているとあっという間に17時くらいになってしまった。遅すぎる昼食はパスして早めの夕飯をとることにした。弱い雨のなかを10年ぶりくらいで新井薬師の五香菜館に行くことにした。

夜は18時開店なので,それまでしばらく時間を潰す。18時少し過ぎに入ったら,テーブルは残り一卓だった。餃子と手打ち広東麺,チャーハンでお腹いっぱいになる。ご主人は忙しそうだったので,挨拶はせずに勘定をして帰った。

日曜日は床屋に行き,事務所で少し仕事を済ませた。帰りにサイゼリヤで赤ワインとピザなどをとり遅めの昼食。18時過ぎに家に着き,しばらく眠った。22時くらいに銀座に出かけていた家内と娘が戻ってきた。お弁当でさらに遅い夕飯。ここ2日,朝がとてつもなく早かったので,結局,一過して3時くらいまで起きていた。

月曜日は起床時間を何とか前倒しし,それでも10時くらいになってしまう。朝食をとり,本を片づけながら,サイトにアップする写真を撮影。昨日開催予定だったみちくさ市が台風のため中止になったのだ。ただ,手持ちの本が溢れてしまっていることに変わりない。年初にとりあえずBASEに立ち上げた販売サイトにデータを上げた。少しでも動けばよいのだけれど,これまでは「NEWパンチザウルス」以外,品物をアップしなかったので,どうなることだろう。

台風一過の暑さのなか,16時くらいに家内,娘と家を出て。妙正寺川沿いのカフェで遅めの昼食。そのまま林芙美子記念館の方まで歩く。新しくカフェバァができたそうなのだけれど,見当たらなかった。そのまま生協まで行き買い物をして帰るつもりが,坂を登ってみることになって,三の坂あたりを登り,中井を突っ切って山手通りまで出た。向こうに渡り池袋方面に進む。目白通りとの交差点にできたアジアンダイニングでお弁当を買って帰るつもりが,二人ともあまりお腹が空いていないというので,もう少し歩くことにする。

途中,八百屋で買い物をしながら,結局,エーグルドゥースまで行く。ケーキを買って,近くのスーパーマーケットで軽く夕飯用の弁当を手に入れ。聖母坂をくだって家に着いた。およそ2時間近く歩いたことになる。

娘は生後10か月からこのあたりで育ったというのに,土地勘があまりない。小学校前の記憶も乏しいようで,まあ私だってあれほど引っ越しを続けなければ,一か所の土地の記憶がどれほどあったかは自信がないけれど。

いい運動になった。

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