週末

金曜日の夜は羽田空港で打ち合わせ。蒲田のブックオフに寄ろうかと思ったものの,平和島で降りてしまい,結局,商店街をぶらっとしただけで羽田に向かった。昔ならば古本屋の一軒や二軒あってもおかしくない街並みだ。

30年前くらい,徹とぷらんぷらんしていた頃は,古本屋がありそうな通りの匂いがあった。だから,初めて降りた駅であっても,かなりの確率で古本を扱っている店にぶつかったのだ。平成に入ってからこちら,確率は落ちたものの同じようにして古本屋を見つけた。「このあたりにあってもそうなんだけれどな」というやりとりが多くなったのはその頃だ。

閑話休題。

土曜日は午前中から銀座で取材。日産の上にソニープラザの一部が移転していたことに気づいた。午前10時の銀座は外国からの観光客が多かった。ライオンの角を少し東銀座寄りに行ったところに古本屋があったのは平成の初めころのことだ。と,少し前書いた通り,銀座に長く続く古本屋があったし,2000年の少し前には,このところ西荻や吉祥寺の並ぶような古本屋さえあったのだけれど,今はどうなってしまったのだろう。

夕方,家内と高円寺で待ち合わせる。銀座線で神田まで行って,そこから歩く。小川町の駅近くの古本屋はなくなってしまったのだった。すずらん通りで何軒か覗くが買わずに,白山交差点のところで2冊100円で買って水道橋から総武線で高円寺に。

ガード下の藍書店で吉野せい『暮鳥と混沌』,開高健『名著ゼミナール 今夜も眠れない』を購入。ルックのアニマル洋子まで行ったものの買わずに駅まで戻る。家内と待ち合わせ,買い物をして夕飯を食べた。久しぶりに東中野の東口から上落中通りを歩いて帰った。

日曜日,起きたのは午前中遅く。朝食をとり,本を片づけ始めた。掃除をしながら,みちくさ市に並べる本を選ぶ。今回はここ数年に刊行された本が多い。夕方からエクセルに本のデータを打ち込み,夕飯をとって,早めに寝た。

少し前,中公文庫から出ている玉村豊男のエッセイを4冊買ったので捲っていたのだけれど,他の作家の昭和50年代のエッセイよりも遥かに軋んでいる感じがした。平成のはじめに,この手の文庫を続けざまに刊行した果てに今日の出版不況の一因があるのかもしれない。とりあえず2冊は読み終えたけれど。『料理の四面体』はまだ読まずにとってある。あれが面白くなかったらどうしよう,と不安なのだ。

地域共生社会?

仕事の都合で,厚生労働省の「我が事・丸ごと」地域共生社会実現本部が今年2月,発表した資料にさっと目を通した。「だめだ,こりゃ」と一言で済んでしまうような代物で,こんなものをまとめ,具体化しようというアホに税金がどれだけ消費されるのかと想像しただけで胃が痛くなる。

21世紀が始まる少し前,世の中では「失敗に学ぶ」ことについて一定の評価が得られた。誤りの公表は,今後,同じ轍を踏まないようにするには何をどうすればよいのか考える素材の提供につながる。「間違ってくれてありがとう」とまでいう流れになったものだ。

ところが,ここ数年の厚労省関連の報告書を見ると,①昔はこうだった→これからはこうする,②昔はよい時代だった→昔のよさを取り戻す,だいたいこの2つに集約される。「間違ってくれてありがとう」の「ま」の字も出てきはしない。

①は,まだ,それでも批判のしようがある。問題は②だ。勝手に歴史を改ざんして,昔の日本はよかった式の文言が何の衒いもなく登場するのを見ると,批判より先にばかばかしさの真っただ中に放り込まれたような気分になる。

「地域共生社会」を喧々する文章の冒頭には,

地域共生社会」の実現が求められる背景
歴史的に見ると、かつて我が国では、地域の相互扶助や家族同士の助け合いにより、人々の暮らしが支えられてきた。日常生活における不安や悩みを相談できる相手や、世帯の状況の変化を周囲が気づき支えるという人間関係が身近にあり、子育てや介護などで支援が必要な場合も、地域や家族が主にそれを担っていた。

地域共生社会」の実現に向けて(当面の改革工程)
平成29年2月7日厚生労働省「我が事・丸ごと」地域共生社会実現本部

とある。本取り組みが対象としているのは,高齢者,障害者,子育て家族,独居者などで,たとえば精神障害者の暮らしを地域や家族がどのように担ってきたか,その歴史は専門書をあたらなくとも,新書を数冊読むか,そこまでの労力をかけたくないならば,Webで検索すれば,その非道い様子について情報を得ることは容易い。

情報を得てなお,「地域の相互扶助や家族同士の助け合いにより,人々の暮らしが支えられてきた」と書くことを,一般には“歴史改ざん”という。

戦後、高度成長期を経て今日に至るまで、工業化に伴う人々の都市部への移動、個人主義化や核家族化、共働き世帯の増加などの社会の変化の過程において、地域や家庭が果たしてきた役割の一部を代替する必要性が高まってきた。これに応える形で、疾病や障害・介護、出産・子育てなど、人生において支援が必要となる典型的な要因を想定し、高齢者、障害者、子どもなどの対象者ごとに、公的な支援制度が整備され、質量ともに公的支援の充実が図られてきた。
同文書より
この一文だって,「地域や家庭が果たしてきた役割の一部を代替する必要性が高まってきた」と,まあ臆面もないことが書けるものだと,ある意味感心してしまう。こ奴らにとって,公共の福祉はどんな認識なのだろう。あくまでも勝手に都会に出てきて(「個人主義化」は確信犯的に入れ込まれたのだろう),核家族,共働きした個人に要因を押し付ける。そうしなければ,食べられなくなった状況(国がそのようにしてしまった状況)にはまったく頬かむりするのだ。
 
しかしながら、昨今、様々な分野の課題が絡み合って複雑化したり、個人や世帯単位で複数分野の課題を抱え、複合的な支援を必要とするといった状況がみられ、対象者ごとに『縦割り』で整備された公的な支援制度の下で、対応が困難なケースが浮き彫りとなっている。例えば、介護と育児に同時に直面する世帯(いわゆる「ダブルケア」)や、障害を持つ子と要介護の親の世帯への支援が課題となっている。また、精神疾患患者や、がん患者、難病患者など、地域生活を送る上で、福祉分野に加え、保健医療や就労などの分野にまたがって支援を必要とする方も増えてきている。
同文書より
こんな調子で続けられると,頭が痛くなってくる。現状に対応困難な制度をつくったのはもちろん国なのだ。にもかかわらず,問題のありかを「支援を必要とする方」に向ける。
 

地域における多様な支援ニーズに的確に対応していくためには、公的支援が、個人の抱える個別課題に対応するだけでなく、個人や世帯が抱える様々な課題に包括的に対応していくこと、また、地域の実情に応じて、高齢・障害といった分野をまたがって総合的に支援を提供しやすくすることが必要となっている。
同文書より

であれば(本当にそう考えているのであれば),まず取り組むべきは厚労省内の部局の統合であって,各部局が管轄している専門職を云々いっている場合ではないと思う。

それよりも何も,ゴールドプラン,新ゴールドプラン,健康日本21,介護保険,地域包括ケア,何一つその結果を検証,反省せずにいることがアホらしい。

病気

夕方打ち合わせのため,横須賀線に乗る。宇都宮あたりで人身事故があり,遅れているという湘南新宿ラインの運転状況が読めなかったのだ。

2時間ほどあれこれ打ち合わせを済ませた後,今後のスケジュールを確認していると,8月末にがんが見つかり,今週説明を受けるということをうかがう。がんはいまや2人に1人がかかる病気だ。とはいえ,こんなときの対応に慣れることなどありえないと思う。

東口を降り,マッサージ店を探す。非道い肩こりは持病のようなもので,父親が残したものを片づけに印西のマンションに通った頃から,ときどきマッサージ店にかかるようにしている。ビルの4階に見つけ飛び込んだ。

中国系の店主が現れ,すぐに施術できるという。着替えて横になる。肩こりの非道さに驚かれるのはいつものことだ。ふつうはほとんど話をせずに1時間,横たわるのだけれど,ここの担当者は途中からいろいろと話しかけてくる。

――仕事は何をしているのか。

本をつくっている。コンピュータに一日向き合っているので肩がこる(それだけの理由ではないだろうけれど)。

――どんな本をつくっているのか。

(細かく話すと面倒くさいので)医者が読む本。

途端,言葉が多くなった。曰く,自分はC型肝炎の治療のため使ったインターフェロンの副作用で糖尿病になってしまった。いまはインスリンを打つような状況だそうだ。

――C型肝炎,治りますか。

新しい治療薬ができたようだけれど。

――糖尿病が非道くなるので,インターフェロンはやめた。糖尿病は治りますか?

それはむずかしい。食事,運動,ストレスをためないなどセルフケアして,非道くならないようにすることはできる(あたりさわりのない話ばかりだ)。

主人は,西洋医学は対症療法でしかないから,東洋医学でからだを整えたいという。にもかかわらず,肝炎を治療するにはどこの病院がいいか。途中から,延々と同じ箇所を押しながら話は続く。マッサージを受けにきたのか,医療情報を伝えにきたのかわからなくなってきた。まあ,床屋談義だと思えばいいのだが。

ビルを出ると小降りの雨だった。駅まで歩く。品川で降りるつもりが,東京まで行ってしまい,改装後,小奇麗になった地下に少し戸惑う。1階まで延びるエスカレータを見つけ,中央線で新宿まで出た。小降りの雨は続いているようで,傘をもたずに出てきた自分を呪いながら家路についた。

日帰り

台風の接近を横目に日帰り出張。

朝7時前に家を出て,羽田に向かう。週末の朝,電車の乗り継ぎは決してよくない。下落合で一本乗り過ごしたものだから,高田馬場,品川で予定した時間より少しずつ遅れ,羽田空港に着いたのは,出発30分前。チェックインを済ませ川嶋先生を探す。ANAのウイングを一往復していらっしゃらないので携帯に連絡すると,すでに出発ゲートにいらっしゃるとのこと。慌てて手荷物検査を済ませた。

台風の影響で朝から雨風が強い。揺れる飛行機を楽しめるほどの度量を持ち合わせていないので,とにかく最低限の揺れで済むように内心祈る。機中では仕事の打ち合わせなどで,時間が過ぎ,静岡あたりから山口手前までほとんど揺れずに快適だった。

福岡空港に着くと,東京の時間が遡ったかのような気温。迎えにいらっしゃっていた方に荷物を預け,タクシーで太宰府天満宮まで。梅の花系列の自然庵で昼食。朝,何も食べずにきたもののかなりのボリュームで,一方,美味しいもののだから食べてしまった。

久留米の造り酒屋で対談。予定を越えて3時間にわたって興味深い話し合いをしていただいた。そこから西鉄久留米駅まで行き,天神で降りた。ブックオフがあったので念のため覗いて,坂口尚の『あっかんべェ一休』第三巻,第四巻,司城志朗のノベルズ,金井美恵子の文庫を買って空港に向かった。

出発ゲート近くのカウンター形式の食べ物屋でビールセット。家への土産を買って帰る。帰りの飛行機も揺れは非道くなかった。22時半に着いて,高田馬場で軽く夕飯をとって家に着いたのは0時くらい。

東京

涼しくなった。夜は上着を一枚羽織ってちょうどよい。お盆の頃の函館よりはそれでも暑い。というよりも湿度が高いのだ。

20時頃に仕事を終え,totoruでビールとオリーブのマリネ。川本三郎の『銀幕の東京』(中公新書)の続きを読む。家に帰り夕飯。

『銀幕の東京』は,大変な労作だけれども,他の川本の本と同じく,本のなかに入り込んでしまうことはない。Webを検索しても出てはこないとても貴重なデータが続き,読みながら,こんな企画で本を書ける人は他にはいないだろうと感心するのだけれども。そこで読み手の感興が留まってしまう。

部分の集積が必ずしも全体を示さないことのアリバイのような本なのかもしれない。

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