美しい星

三島由紀夫の『美しい星』を読むきっかけは雑誌「地球ロマン」に掲載された「ドキュメントCBA」だったと思う。だから解説で何が書かれようとも,宇宙友好協会に関するさまざまな事件の1つとして,この小説を手に取ったし,そういうつもりで読み始めた。

決してつまらなくはなかった。ただ,もっとCBAについて肉感的な感触が得られることを期待したにもかかわらず,小説のタッチはそういう類のものではなかった。

平沢進の「金星」が劇中歌として歌われると聞き,映画「美しい星」を観に行こうと思ったのは公開のアナウンスがあってしばらく経ってからだ。

映画「美しい星」を観てきた。池袋の映画館は土曜日の午後いちばんだというのに,数十人という入り。プログラムを買ったところ,関連グッズが軒並み売り切れだった。どれもデザインが恰好よい。

映画が始まって130分。面白かった。映画はこんなふうにつくっていいのだと,確認させるかのような出来だ。

時代設定は2018年となっているが,全体,1980年代半ばと思ってもまったく違和感がない。語られる言葉は1980年代半ばを体験した者にとっては実に懐かしいものだ。他者に物申す前提を,とにかく一人語りする一方で,他者を操作するブラックボックスを動かしてしまうアンバランスさ。ところが映画では,映画を見ることで起こるなにがしかの感情を救い上げ,ぶつけていく。ぶつけられるのは,メサイヤ・コンプレックスを露呈した,つまり結局,他人に対しての「覚醒せよ」だけで棚上げされた自分だ。

あの時代に対し,こんなふうに落とし前をつけようとしたのは,同世代として初めてのことではないだろうか。大塚英志が記すように,1980年代のみならず,さまざまな選民思想は「選ばれたと思う者」と「選ばれたいと思う者」によって構成される。マルチ商法から自己啓発セミナーまで,洗脳の手段を操る動きの背景に選民思想が二重写しになるほど,この2つは相性がよい。思えばUFOに関する動きも選民思想の1つに違いない。映画「美しい星」は80年代の選民思想を、選民思想として描いた身も蓋もないところがよい。

UFOといえば大槻ケンヂだよなと思っていたけれど,この投稿を書きながらYoutubeで福間未紗の「オモイダス」を聴いたところ,嵌りすぎた。最後の旅行が「円盤旅行」だなんていったら,できすぎだ。ただ,福間だとガチでそっち系になってしまうので,監督の意図を具現化するには似つかわしくない。福間未紗を聴きながら「美しい星」を反芻するのは悪くないのだけれど。

選民思想を相対化するには,選ばれたこと(と感じる)によって得られる(と勘違いによる)特権という幻想(ああ長い)がはく奪されなければなるまい。

暁子とストリートミュージシャンのエピソードは,三島由紀夫ではなく,ほとんどそのまま中井英夫の小説のなかになかっただろうか(記憶のなかで「美しい星」と中井英夫の「水妖」が重なっていたようで,これは原作通り)。

半村良が醜いと切り捨てたもの(地球上の生命)に,映画では最後に美しさを見出させようとする。そして,そこに美しさを見てしまうのだ。後ろめたさを抱えながら。

柳原

午後から外で打ち合わせ。いつもは京成関屋から向かう事務所に,久しぶりに北千住から行ってみることにした。東口の商店街で昼食をとり,古本屋を覗きながら,旭町~柳原の商店街に入ってしまったものだから,迷う。なんとか事務所にたどりつき打ち合わせ。夜の会議のために中野に向かう。ブロードウェイ地下の菊屋跡地は隣の百均も飲み込んだダイソーに変わっていた。20時過ぎに終え,新井薬師前の居酒屋で休憩して家に戻る。雨と湿気の一日。

柳原界隈の小体な商店街を初めて通ったのは20数年前のこと。取材先の事務所からの帰りに,北千住まで歩いて帰ることになった経緯はまったく覚えていない。豫園近くの市場にも似た軒の低い店が並ぶ。道幅は圧倒的に狭く,一応通りは直線なのだけれど,交差する道が湾曲しているので方向感覚を失う。夕方の賑わいのなかに身を置くと,ホッとしたことを覚えている。

ここ数年,年に一度くらい柳原から北千住まで歩くことがある。すっかり廃れてしまった商店街は,それでも生活の匂いが充溢する。このあたりで古本市を開いたら楽しいだろうな。そんなふうに感じる景色だ。それでも他の町に住む者が出張ってきて,楽しむのは違うなと,道に迷いながら思った。

時間

からだの重さが続くため,会社帰りにマッサージに行く。予約なしなので,高田馬場で一軒目はふられ,二軒目の台湾式マッサージ店に入る。いつものことながら凝り固まった肩には驚かれる。帰りにお茶を飲み少し休んでいると,隣にインド人がいて,店主に何か尋ねている。結局,希望するマッサージを提供してないとわかり店を出た。インド人とエレベーターで一緒になり「タイ式マッサージ店を知らないか?」。このあたりのマッサージ店の情報にはまったく疎いので「しらない」と返事すると,残念そうに人波のなかに紛れていった。

WordPressを使うようになって,一番何が変わったかというと,更新する時間だ。2003年からこっち,自宅で22時~24時あたりにパソコンに向き合っていることが多かった。

それが,特にここ1年は昼休みの更新がルーティンになった。Webにアクセスでき,入力環境が整っていれば,何もこの時間にこだわる必要はない。iPhoneで更新できることが確認スミだ。にもかかわらず,圧倒的にこの時間の更新が多い。あげく会社にこない週末には更新しないこともある。

Clover Diaryを使っているときは物理的に,家以外での更新は不可能だった。ソフトはiMac G4にインストールされているし,そこから直接データを上げていた。Windowsのラップトップをメインに使っているときは,持ち運んでwifiをつなげば自宅以外で更新できた。ただ,その頃からずっと日常的にwifiを利用する環境になく,ラップトップを持ち運ぶ必要もなかった。

WordPressに変えてから,レンタルサーバーにアクセスさえすれば,ブラウザ上で更新できる便利さを手に入れた。それまでもhtmlデータにはアクセスすることができた。ただ,テキストを打つ環境はじめ,およそワープロを打つ感覚で更新できるものではなかった。Web上の広告付き無料Blogは別にして。

たまにチェックしてみると,この間,アクセス者数1名から多くて2ケタ/日を堅調に維持する本サイトにとって,アクセス数を増やそうと目論んだり,バナー広告が入ったりすることはできるだけ避けたい。とはいえ,ツイッターで更新報告出しているな。あれは,まったく必要ないのだけれど,当初はタイムラインを引用で固め,そのなかに更新報告を紛れ込ませる狙いだった。

限定された更新環境で,実は不自由ではなかったものの,また,この時間に更新することになる。

Log

からだが重い。19時前に会社を出た。新大塚まで歩き,地下鉄で池袋へ。高田馬場で少し休み,ブックオフを覗く。4冊買って歩いて家に帰る。運動不足なのか酒の飲み過ぎかわからない。風邪っぽくもあるし。季節の変わり目というか,急に夏日になってしまうのだから,からだがついていかない。

このところLogを開いては修正して,とりあえず1年分は手を入れた。音源をアップしていないため,リンクを貼っていない箇所がいくつかある。フォルダのなかに見当たらない音源があるので,SoundcloudとMyspaceのリンクだけにして,そこにアップしていない音源は無視しようかと思案する。

それにしても,2003年から数年間,一月のうち2/3程度は何かしらのことを書いていたことに,今更ながら驚く。当初は確かに「今日のこと」は書いていないので,すっかり忘れてしまった学生時代のことが出ていて,データを修正しながら斜め読みするのが面白い。

7,8年前になると,月のうち,数日の記録しかない時期がある。確かに忙しかったのだけれど,iMac G4の調子が悪く,そうだ,致命的だったのは断線したためかキーボードが接続できなくなり,マウスを直接つないで操作していた時期があったことだ。ノートパソコンでテキストをつくって,メールで送り,マウスでコピー/ペーストし,htmlデータを書き出す。そうやってからftpでアップするのだ。ソフトにもバグがあったりして,あっという間にそんな面倒なことをする気がなくなった。

Windows環境で更新しはじめてから,使うソフトが変わったため,すっかり内容がふつうの日記になった。書く内容はソフトに依存することが少なくない。Logの更新はこのあたりの時期にたどりついていないので,どうなるかわからないものの,ftp経由でアップするhtmlデータがあまり読みやすくないのがずっと気になっていた。書体,行送り,級数,すべて修正することになるはずだ。月数としては,そちらのソフトを使ったデータのほうが少ないので,先に修正してしまったほうがよいかもしれない。

と,そちらのデータの一部はWordPressに貼り付けていたことを思い出した。

このBlogのデータは変則的なのだ。最初の頃にアップしてあるのは,CloverDiaryを使いはじめてから数年後,Infoseekの無料Blogに登録して,デジカメデータ中心にアップした内容を貼りつけたもの。同じ日にちでLogに別の記事があるのはそういう理由だ。サービス終了前に更新するのをやめた。あちこちに広告が出てくるのが嫌だったからだ。

プロバイダが無料で提供しているサーバに……あれ? どんな流れだったか混乱してきた。

整理してみると,

  1. 2003年3月末~7月:カフェスタ→Mac非対応に伴い移転
  2. 2003年8月~2010年10月:CloverDiary→サーバはInfoseekの無料のもの(isweb ライト)を使用。並行してInfoseekの無料Blogをときどき更新。当初から数年間,サイトのデザイン,データ更新にはNetscape Communicator を使っていた。→iswebライト終了に伴い移転
  3. 2010年11月~2012年6月:2.のデータをプロバイダが提供している無料サーバにコピーして更新。2011年1月からはゆらめきのひびを使い更新。メインマシンのWindows移行に伴い,FFFTPでデータを更新。サイトのデザインはフリー素材に手を加えた程度。→WordPressがインストールできたので移転
  4. 2012年7月~:プロバイダ関連のVPSをワンコインで借り,WordPressに移行
  5. ~2016年4月:同じVPSでWordPress稼働可能なサービスに移行。他にWordPress.comで一箱古本市用のブログを立ち上げる。→動作が重く,使い勝手の悪さが露わになり移転。ここまではトップページはhtmlでつくり,BlogにリンクをとりながらWordPressを使う。
  6. 2016年5月~:レンタルサーバーに乗り換え,4.~5.のデータを移行。トップから他のWordPressのリンクまですべてWordPressで管理。現時点で,WordPressに3つのサイトをつくり,WordPress.comに1つのBlogがある

となる。「固定ページ」と「メニュー」を使えば,トップページからすべてWordPressで賄えると気づくまで,数年かかったことになる。定期的に更新する項目以外,htmlで組んで問題ないのだけれど,どこでも更新できる,場合によってはスマホからも手を入れられる利便性を手に入れてしまうと,元に戻れなくなる。

とりあえず,現状がもっとも安定していることに変わりない。Netscape Communicator って,あれは当時とても便利だったことを思い出す。

洗脳

午後から会社で仕事。早めに終えて,不忍通りをバスで駒込方面に向かう。BOOKS青いカバに入る。山口泉『旅する人びとの国』上下巻を発見。 しばし悩み,結局,星野博美『みんな彗星を見ていた 私的キリシタン探訪記』を買って帰る。山口泉の本は買いたかったのだけれど,それなりの定価がついていたことと,今更,読み終えられるのか疑問に思い,買わなかった。星野博美の本は,ほとんど読んでいるものの,『コンニャク屋漂流記』をとん挫したため,買っていなかった。ページを捲ると,読みたくなってきた。駒込まで歩き,東口あたりをぶらつき,ハイボールとつまみで,『洗脳の楽園』を読み進めた。

寝る前に『洗脳の楽園』を読み終えた。この手の本は一息にページを捲るのが正しい読み方だ。洗脳技術は意図のある/なしに関係なく,人を操作するシステムとして完成してしまっているので,一度,そのシステムが動き出すと,結果はおのずと同じようなところに陥る。

ヤマギシ会がよいことをめざしていようがいまいが,そのシステムを意図してかどうかわからないものの,動かせてしまったには違いない。得てして善意をもとに,そのシステムは動かされるような気がする。

本書を読みながら,そんなことを感じる一方で,“SCUBA”以降の平沢進の作品は下手するとヤマギシズムとの共通性を指摘されてもしかたない危うさがあると思った。本人はユングやトランスパーソナル心理学,ニューサイエンスを元ネタにしてインタビューに対応していたものの,洗脳だと叩かれてもしかたのない側面がある。P-MODELのライブでも,平沢に他者を操作しようとする意図がないとは必ずしも言えないアプローチはあった。

ただ,あれらの作品とそれを元にしたライブを「洗脳」と切り捨ててしまうのは,やはり根本が違っていると,とりあえずは思いたい。(加筆予定)

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