雨やどり

夕方から広尾で会議。池袋東武で人数分の弁当を調達した後,渋谷経由で向かう。20時に終わり,渋谷まで戻る。新宿で総武線に乗り換え,東中野で降りる。ブックオフで半村良『雨やどり』『新宿馬鹿物語』をそれぞれ108円で購入。歩いて中井まで行き,駅前の居酒屋に入る。10時過ぎに出て,家に戻る。『雨やどり』を読み始めた。

椎名誠『新橋烏森口青春篇』はあっという間に読み終えた。以前,確か読んだような気がしてきた。昭和40年代の業界新聞社と,昭和60年代のそれとが,結局ほとんど変わっていなかったのだと何だか懐かしくなってきた。

亡くなってしまった高橋さんも,越崎さんも,椎名誠の少し下の世代だった。私が銀座の本当に小さな業界紙に居場所を見つけた当時も,ほとんど似たような様子だった。大阪支社の話なんてその後20年近く変わらず,多くの業界紙が同じようにして記事を集めていた。

記事が多い時期は一日の紙面に収まりきらないから,翌日分に足りるくらいの記事がある。翌日は昼過ぎ早々に校了,それから取材に行けばよいものを,そのまま会社で飲み会が始まる。ひとくだり飲み終えて16時には有楽町の小松に一番乗りで続きが始まる。

広告をとってくれば歩合が出たり,一般誌のアンカーマンのバイトをしたり,それぞれ本業以外の食い扶持をもっていた。名刺一枚で,帝国ホテルのパーティーからテレビ局の中まで入ることができたのは,20代を折り返していない私には,それはとても面白かった。結局,その後30年,名刺一枚で入り込める仕事を続けているのだから。

半村良の『雨やどり』は文庫ですでに読んだような,これもそんな気がするが,居酒屋に入るのに手持無沙汰だったので買ってしまった。

鈴木清順

例年ならば花粉症の時期はとうに過ぎているはずが,今年はまだ調子が悪い。今週はヒスタグロビンを打たずに,昨日は花粉症の薬も飲まなかったため,頭が鈍く痛む。

19時に会社を出て,ISPのポンパドールでサンドイッチを手に入れ,新文芸坐に向かう。地下にあった頃は何度も足を運んだけれど,ビルの3階にオープンしてから入ったのは初めてだと思う。

鈴木清順特集が日替わりプログラムでかかっている。昨日も来ようと思ったものの忙しかった。調子はよくないがやってきた。「青い乳房」と「すべてが狂っている」。

「青い乳房」は全編,現代音楽が鳴り響くなあと思ったら,間宮芳生だった。小林旭のアップは見栄えがする。二谷英明は,はまり役。ところどころ長回しが入ったり,レールを使った移動が入ったりして面白い。ハッピーエンドが救いだけれど,全体に暗いな。

「すべてが狂っている」は,目白駅あたりでロケされたシーンを見ながら,今と比べてしまう。吉永小百合の家はこのあたりの坂にある設定だ。70分できっちり終わり,最後は確かに「勝手にしやがれ」風。こちらのほうがかなりスタイリッシュな画面構成だ。

原作はどちらも一条明。物語に共通する要素がいくつかある。

新橋烏森口青春篇

諍いの余波は続く。20時過ぎまで仕事はかかり,帰りは久しぶりに魚滝で食べた。入ったときはカウンターに客が1人,テーブル2卓が埋まっているだけだったが,みるみる客が入ってきて21時過ぎには満員近くの賑わい。帰りに高田馬場のブックオフで福永武彦『廃市』と池澤夏樹『骨は珊瑚,眼は真珠』が108円コーナーに別々に並んでいたため,思わず購入。『骨は珊瑚…』は,散骨という言葉を目にすると真っ先に思い出す小説だ。

家に帰り,Amazonプライムでザ・ビートルズのホワイトアルバムの続きを聴きながら,椎名誠『新橋烏森口青春篇』を読み始めた。

ザ・ビートルズを聴くと,46分カセットテープを思い出す。芳弘からアルバムを借りてはカセットテープにダビングしたのは高校時代のことだ。赤盤はアルバムを譲り受けたにもかかわらず,カセットテープに録音して聴いた。あのアルバムは2枚組で60分テープに収まった記憶がある。青盤は75分テープでも入りきらなかった。

ホワイトアルバムは46分カセット2本ダビングしたものの,最後の最後,“Good Night”の途中で途切れてしまう。60分テープでは長すぎるため,しかたなく“Good Night”が途切れたままで聴いた。

同じようなことはYMOの“BGM”でも起きた。あのアルバムは記憶ではA,B面とも同じ分数が録音されていて,なおかつその分数が23分よりほんの少しだけ長いのだ。A,B面とも微妙に途切れたカセットテープを少し前まで捨てずに持っていた。

諍い

朝の通勤時間には西武新宿線が遅れ,山手線はストップ。久しぶりに東西線~南北線~丸ノ内線を乗り継いで出社した。仕事を20時過ぎに終えて帰宅。ちょっとした諍い。食事を終え,先日買った切通理作の文庫本を読む。

久々にザ・ビートルズの“Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band”と“The Beatles”を続けて聴いた。どちらも芳弘に借りたレコードをダビング,高校時代からの数年間,カセットテープで繰り返し聴いたことを思い出す。

対象論

午前中,体調がすぐれない。10時くらいに起き出して会社に行く。昼過ぎに着いた。テープ起こしの整理をして17時過ぎに会社を出た。

totoruで休憩。ディックの『ライズ民間警察機構』を捲る。隣の客がカキではなく,大きな声で喋る。聞いていないのに会話が聞こえてしまう。男はウクライナ人のようだ。曰く「教師以外,職についたことがない人に進路相談したくない」。ザ・ビートルズの赤盤が流れていて,これはたぶん曲順を諳んじられるくらい。次は“We Can Work It Out”だと思ったら,ぴったり。18時過ぎに出た。

新井薬師駅で降り,文林堂書店を覗くが,何もない。そのまま古本案内処に行く(いつの間にかサイトが出来ていたのか。このサイトと同じテーマを使っている)。昨日に続き,娘の講義用のテキスト(横光利一,新潮文庫)を探しにきたのだ。講談社現代文庫は何冊かあったものの,新潮文庫はない。他の棚も少し眺め,店を出た。

ブックオフ経由で帰ろうと早稲田通りを落合方面に歩く。ブックオフで横光利一『機械・春は馬車に乗って』(新潮文庫)を見つけ購入。旧版カバーだけれど,そこそこきれいだった。

土曜日にユマニチュードに関する講演を聴き,ああ,これはソマティック心理学の亜流なのかと感じたと書いた後,Wikiで検索してみたところ,竹内敏晴さんの「からだ」と「ことば」のレッスンもソマティック心理学の範疇に入れてあった。勘違いもはなはだしい。

ソマティック心理学のみならず,多くの心理学は基本的に対象論としてカテゴライズできるものだ。そこから派生したカウンセリング理論も当然,意味論を基盤にした対象論といえると思う。だから,自己啓発性セミナーは当然,自己はブラックボックスのまま,それを対象化した扱いに終始するのだ。

認知行動療法はじめ,環境によるセキュリティからユマニチュードまで,自己をブラックボックスにしたまま手つかずに,環境を操作してその場をやり過ごすノウハウが,20世紀の終わりからとにかくメインストリームを席巻している。

専門家がやたらと対象論に走るのは結構だけど,私が対象にされるのは勘弁してほしいというのが正直なところ。

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