長崎

週末を利用して,家族と長崎にきた。

10年以上前,仕事で長崎にきたときは,空いた時間に「梟の城」を見たこと,道路の傾斜に躓き額を強打したこと,島原でも仕事があり,真っ暗ななかを電車で戻ってきたことを思い出した。

出発8時台の飛行機を予約したため,家を6時過ぎに出た。このところの強風で,弟一家から「飛行機がかなり揺れた」と聞いていたので心配したものの,幸い大して気にならなかった。

長崎に着いたのは10時半くらい。リムジンバスで市街地に向かう。リムジンバスで過ぎる町に暮らす人の生活はほとんどイメージできない。できないからバスの窓から道と建物の様子を眺めてしまう。

バスセンターのコインロッカーに荷物を置いて,出島のあたりをぶらぶらする。1960年代の映画に出てくる横浜のような景色。

BLUEPRINTで昼食をとる。洒落た店。路面電車で思案橋に向かう。飲屋街を越え,辺りの店を見てまわる。大正堂書店に入った。まず店先に『沈黙』公開記念の遠藤周作フェアの箱がつくられているのがみえた。店内のキリシタン関連書籍,原爆関連書籍の圧倒されるラインナップを見て,地域の古本屋ってこういう役割なのだなと改めて思った。宇都宮の山崎書店もそうだった。時間があまり取れず,何も買わずに店を出た。

ツィゴイネルワイゼン

夜は弟一家と高田馬場のタベルナで夕飯をとる。12歳になった姪は背丈は大きくなったものの,ふるまいは子どもの頃と変わらない。ほぼ貸切状態で2時間ほど,あれこれと話す。ニューヨークは民主党の牙城だから,トランプに対して批判的な意見が多い。どうなるかわからないし,というのは日本も同じなのだろう。

夢に徹が出てきた。鈴木清順の訃報のせいだろう。夢のなかの徹は,相変わらずサラリーマン生活をしていた。

その頃,すでに「陽炎座」まで公開を終えていて,たぶん「ツィゴイネルワイゼン」「陽炎座」は意外と早い時期にビデオ化された記憶がある。その違いをうまく言葉にできないものの,当時から「ツィゴイネルワイゼン」は好きだけれど,「陽炎座」は今一つ,というのがわれわれのなかで常識のようにまかり通っていた。

「ツィゴイネルワイゼン」と「陽炎座」いずれも観たけれど,どうしてもセットにして考えることはできない。それはたぶん私は「ツィゴイネルワイゼン」を観てから内田百閒の「サラサーテの盤」を読んだことが,結果として関係しているのかもしれない。徹や昌己がどうして同じように感じたのかは聞いたことがない。

旺文社文庫において内田百閒の小説,エッセイ,座談・対談,日記に歌集まで網羅するラインナップでの刊行が始まったのは1979年,『実説艸平記』の刊行は1983年とある。だから当時,旺文社文庫で内田百閒を読み始めたわれわれは,映画「ツィゴイネルワイゼン」を観て,ほとんど事前の情報なしに「サラサーテの盤」を読んだ(文庫の解説に映画のことを触れてあったような気もするけれど)。反対にすでに「サラサーテの盤」を読んでいて,映画「ツィゴイネルワイゼン」を観た人は,これも想像にすぎないけれど,映画公開時にある程度の年齢だった人なのではないか。内田百閒というと,漱石門下で「夢十夜」の続きのような作品,つまり『冥途,旅順入城式』に収められた作品を描いた小説家としての印象が強かった。「サラサーテの盤」もその系統の短編だ。ノンブルをつけずに本(『冥途』だったと思う)をつくってしまったため,乱丁がかなり出たというエピソード,「いやだからいやだ」などとともに知られていたのだろう。

旺文社文庫で多くのエッセイを初めて読み(もしかしたら六興出版でエッセイを読み始めた読者がいるかもしれないが),その面白さを発見したわれわれにとって,「ツィゴイネルワイゼン」が1980年に公開された意味は,だからかなり大きい。

そんなことを思い出した。

3/19のみちくさ市で鈴木清順を偲び,「ツィゴイネルワイゼン・セット」(仮称)を並べることにした。セットの中身は『実説艸平記』と大谷直子+稲越功一の写真集。当然,1セットのみ。

カルテット

娘はバイト先の同僚と食事会だという。夜は,家内と待ち合わせて茗荷谷のtamayaでとった。昼にお弁当を買ったことは何回もあるけれど,夜に入ったのは初めて。野菜が旨く,グラスワインは格別。もっと早くから入ればよかった。コストパフォーマンスがよい。

家に帰り,「カルテット」を観はじめると,娘が帰宅。3人であれこれ話しながら観た。

昨日,申し込んでおいた3月のみちくさ市,出店できることになった。お礼のメールを送り,ブログに参加の告知をアップした。新しめの本で読み終えたもの。かつ,手元に置いておかなくてもいいと思えそうな本を少し多めに,あとは書棚や床に積まれた本のなかからピックアップして並べる予定。

「カルテット」は回想場面中心で,夫婦の価値観の違いをていねいに描いていく。ただ,あの先に,いつの間にか価値観が重なっていく瞬間が増えていき,それが家族のダイナミズムにつながると思うのだけれど,そこを描いてしまうとこれまでのドラマのエピソードに繋がらないので,あそこで留めたのだろう。

昔,加藤和彦の『それから先のことは』というアルバムを初めて聞いたとき,安井かずみの歌詞がよくわからなかったのだけれど,あるときから印象がガラリと変わった。家族をもったことが一因だったのかもしれない。

「カルテット」第6回は,後半3分の展開に騒がれているけれど,かえってあの3分で落ち着いた感じがする。時間弱を短くしただけで,あれはこれまでと変わらない流れだから。

Amazon

土曜日の取材帰り,渋谷の古書サンエーに立ち寄った。仕事で使えそうな本があったので値付けをみると2,800円となっている。20年前,定価7,000円の本だから決して高くはない。ただ,何とかもう少し安く手に入らないだろうか。他の棚を眺めながら考え,結局,購入するのはやめにした。

日曜日の午後,事務所で仕事を少しだけ片づけていた。合間にAmazonで検索をかけてみたところ,昨日の本が1円で出ているのを見つけた。1円だ。送料別とはいえ,足しても300円はしない。検索してしまい,つらくなるのはこんなときだ。

結局,Amazonで注文し,今日,家に帰ると本は届いていた。注文してから24時間以内に届き,町の古本屋で2,800円の値がついている本が300円もしない。対価のほとんどは送料だ。

2000年前後,“価格破壊”を謳っては,実店舗をみずから破壊する所作があちこちにみられた。100円ショップが一般的になったのもその頃だったはず。星野博美が当時,エッセイのなかで,その品物が100円で売られる背景――そうせざるを得ない人の暮らしが当然含まれる――を想うと,100円ショップに入る気になれない,と記していた。そのことをときどき思い出す。

1円で売られた本の背景に,何かまっとうなものを思い描こうとしても,どうにも想像しようがない。Web上,1円から定価以上まで並ぶ値段のなかから,どれかを選ぶ。1人が10種類のものを並べているのではなく,10人が1種類のものを並べている。10人ではないな。サイト内の10店だ。私は10店1つひとつに入ることはない。量販店と個人経営の自転車店の両方でじかに見比べ,どちらの店で自転車を買うか悩むのとは,だから決定的に判断軸は異なる。

土曜日の取材では「安全保障と学術の関係」の話題があがり,防衛省の予算でのデュアルユース研究をどう考えるかなどの話し合いがあった。やりとりを聞きながら,つまりは防衛省が研究助成予算を立てることのないように、研究成果が軍事利用されないように、国民が国をきちんと縛ることをしなければ,似たような餌のぶら下げ方を手を変え品を変え,されるのだろうな,と思った。

その帰りに,渋谷の古書サンエーで,日本科学者会議編『科学者の権利と地位』(水曜社,1995)をみつけたのだ。でも,それと同じように「1円で買えないように店を縛ることがよい」とは,あたりまえだけれど言えない。言う気にもならない。(加筆予定)

Silly walk

午後の便で帰国した弟と錦糸町で飲んだ。「帰国」と書いたものの,両親は他界し,グリーンカードを10年以上前に入手している弟の戸籍どころか国籍がどうなっているのかはわからない。

千葉に住む妹のところに泊まるというので中間をとって錦糸町で待ち合わせることにした。あやしい中華料理店に入ろうかと考えたものの,一時に比べると居酒屋のほうが賑わっている様子だ。評判の居酒屋で待ち合わせることにしたところ,予約なしでは入れない。しばらくぶらつき,ロッテシティの裏道にある創作和食の店に入り,弟にメールで連絡をした。

この10年,葬儀が出たとき以外,弟と会うことはほとんどなくなった。今回はたまっていた休日消化のためだという。トランプが所有するビルに,弟が管理している店の片方は入っている。デモで仕事にならないんじゃないかと尋ねると,20~30人くらいで少し情けない感じだ,と。

昨年,ロンドンにスペシャルズのライブを見に行ったときの土産だといって,モンティ・パイソンでジョン・クリースのネタ“Silly walk”を模した腕時計をもらう。ほぼ半世紀の間,兄弟なのだからお互いのツボはそれなりにわきまえている。まあ,50歳過ぎて通じてしまうのが少し悲しくもあるけれど。

若い頃はほとんどアルコールが飲めなかった弟は,ビール2杯くらいなら飲めるようになったみたいで,2時間少し,あれこれと話しながら飲む。

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