大盤振る舞い

午後から初詣に出かける。

ここ20年のほとんど,この時期に一度は家族三人で新井薬師に行く。平成が始まった頃,上高田のアパートに住んでいたときに,近くにあるのだからと出かけたのがきっかけだったような気がする。親と一緒に暮らしていた頃や,大学時代に一人暮らしをしていた頃には初詣に出かけた記憶は残っていない。

年によって混んでいたりいなかったりだけれども,混んでいるとどうしたわけか気分が高揚してくる。今年は混んでいたので,先に遅めの昼食をとってからお参りをした。その流れで社務所でおみくじをひくのが例年のことで,今年も娘と一緒に引いた。どちらも「凶」が出て苦笑いしていると,あたりで「凶」「凶」「凶」,なかには「大凶」の声も聞こえてきた。よくみると社務所のアルバイトの若者もおみくじを取りに行くたびに苦笑いしている。正月三が日というのに「凶」の大盤振る舞いだ。見上げると月の影と金星が並んでいる。

娘と家内は新宿で買い物をしたいというのでJR中野駅まで歩く。今年の正月はどこも海外からの観光客で賑わっている。娘は,日本の正月を体験して何が愉しいのだろうかと怪訝な様子だ。中央線のホームから中野サンモールを見るとそこだけ妙なふうに彩られていた。

新宿で娘たちと待ち合わせ,ブックオフで数冊本を購入した。ビックロの地下で買った本を読みながら時間を潰す。石森章太郎のマンガの文庫版と北杜夫が亡くなったときの追悼集を並べて読んでいると,まったく高校時代に戻ったような気持ちになる。

夕食をとる店を探しながら南口まで歩く。高架下から少し先のほうにある喫茶店に入った。もしかすると以前,一度入ったことがあるかもしれない。

家に戻り,お笑い番組をみていると0時を過ぎた。昨日今日とお笑い番組以外,みていないような気がする。

A HAPPY NEW YEAR

突然,ドアが開いた。人影が一歩踏みこみ,胸のあたりで火花を散らした。甲高い破裂音。硝煙の匂い。
「ア・ハッピー・ニュー・イヤー」
そ奴は叫んだ。
しかし,誰の耳にも,その声はとどかなかった。

矢作俊彦:THE PARTY IS OVER,複雑な彼女と単純な場所,東京書籍,1987.

昨夜遅くまで起きていたので,9時過ぎに目を覚ました。おせちの準備をして食べ終わったときは午後を越していた。したくをして池袋まで出た。家内と娘が買い物している間に,西武池袋店の屋上庭園にはじめて足を運ぶ。セゾングループの中途半端な感じは2000年を待たずに露呈してしまったものの,エスカレーターのライティングや屋上庭園を間近で見ると,糊塗しなおすのは難しいなと思う。

しばらく待ってからデパート内の喫茶店に入り少し休憩した。パルコに渡り,年末に取り置きしてもらっていたという姿見を受け取った。二人を待っているうちにだんだんと眠くなる。午前中に飲んだ日本酒がきいたきたみたいだ。荷物をもって先に家に帰る。しばらく眠り,その後,夕飯。

元旦はいつも同じような感じで過ぎる。

コトナ書o房o

コトナという言葉を〈発見〉したのは,かれこれ20年近く前。
いい年して,ガキのようなばか騒ぎに明け暮れていたころ,一握りの含羞を込めてこども+おとな→コトナとした。なさけない発音が,当時自分たちにぴったりで,ジャーゴンとしてうちわでは流行したが,広まりはしなかった。(2003年4月1日の日記より)

さらに13年が過ぎた。発見したはずの言葉はその後,何にも使われず縁側で日向ぼっこの毎日だ。こちらは半世紀を生きてなお,大人になったなどとはこれっぽちも感じられない。屋号に使ったらどうだろう。囁きをポケットに忍ばせて,少しずつ手を入れはじめた。

オンライン古書店の屋号は正式には「コトナ書o房o」。“oo”は“QQ”2つと交換したもので,にもかかわらず,“oo”をつかってしまうと,web上にうまく登録できない。便宜上「コトナ書房」とすることで,世の中の面倒な手続きと折り合いをつけた。

コトナ書o房oは,一箱古本市に出店する際にも用いる屋号で,活動の中心はこちらに置いている。オンライン古書店は,あくまでも増え続ける,そして引き取り手と出会う機会の乏しい書籍,雑誌の読み手とコンタクトする方便でしかない。だから路上に携えていく書籍,雑誌ではない何かがそこに結果,アップされるはずだ。現時点で「NEW パンチザウルス」をそれなりの価格設定でアップしてあるのが“在庫”のすべて。

絲山秋子さんのサイト「いとろく」の展開に刺激を受け,決済は「BASE」を通して行なうことにした。

Pub

午後から打ち合わせのために高尾まで行く。終わったのは16時だったので,直帰することにした。駅前の高尾文雅堂書店をしばらく眺める。結城昌治と斎藤純の文庫,サム・シェパードの戯曲集などを購入。新宿に戻る。

夜は那智君と飲むことになっていた。新宿駅東南口から斜めに横切り,ディスクユニオンの手前あたりにたどり着く。先にビックロに入り,ヘッドホンの延長コードを買った。それでも待ち合わせまで少し時間があったので,スタンドに毛が生えた程度に鄙びた地下のカフェでコーヒーを頼む。インゲ・ショルの「白バラは散らず」を捲る。

ライオン会館2階のアイリッシュパブに入ったのは初めてだった。数か月前,池袋の系列で久しぶりに那智君と飲んだことがある。そこが居心地悪くなかった。だから新宿のその店で待ち合わせることにしたのだ。那智君は先に来ていた。

10年くらい前に行ったマッドネスのライブ会場に似て,まわりは外国人ばかりだ。うるさいけれど,池袋とは違った意味で居心地がよかった。朝から体調がすぐれなかった。ペースを落として飲んでいたものの,だんだんペースがあがり,かなり酔っぱらった。23時くらいが看板だったようで,結局,その時間までくだらない話で盛り上がった。

店先で別れ,そのまま歩く。歌舞伎町の手前あたりで信号待ちになった。ふとバッグに手を差し込むと財布の感触がない。まただ。というか,今回は店に置き忘れたことを覚えている。CODのシステムだったので,いちいちバッグから財布を取り出すのが面倒で,テーブルの左端に置いていたのだ。23時過ぎに,パブへと戻る。財布を受け取り,タクシーで帰りたい気持ちを抑え,西武新宿駅から電車に乗る。家に着いたのは午前0時を過ぎていた。

紛失

昼食をスワンベーカリーでとり,そのまま田無経由で,義父の家を片づけるために移動する。

搬出の人が作業中で,すでにかなり片づいていた。ただ,家内姉妹がそれぞれ携えるものの量がまだかなりある。荷台に段ボール箱1つ載せ,あとはあさってにしようと思い,他の荷をまとめておく。作業中の人のために缶コーヒーを自販機まで買いに行った。16時過ぎに出て,途中で家内とお茶をする。地元のキッチンで夕飯をお弁当にしてもらう。少し時間がかかるというので,一度家に戻り,一日背負っていたリュックをもってキッチンに。代金を払おうとするが,リュックのなかに財布が見当たらない。再び家に戻り,とりあえず家内の財布をもってお弁当を受け取りに行く。

義父のところに忘れてきたようだ。カートを引っ張り,この日,二回目の移動。すでに19時を過ぎている。搬出の人はブレーカーを落として出て行ったようで,もちろん,事故のリスクもあるからそうするのが定石だ。iPhoneで家のなかを照らしながら探すもののらちがあかない。ブレーカーがありそうなあたりを探し,どうにかあげる。明るくなっても,結局,財布は見当たらない。しかたがないので,カートに荷物を一箱積んで家に戻る。

翌朝,午前中にカード会社,銀行に使用の停止を連絡。交番に紛失届を出す。西武線は相変わらず,紛失物の対応に横柄だ。

数年に一回,こんなことがあるような気がする。

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