JOE THE KILLER

少し前に持ち帰ったはずの「リンゴォ・キッドの休日」前編が掲載されたミステリ・マガジンが,どこかに紛れてしまった。『フィルムノワール/黒色影片』刊行にかこつけた二村永爾の件の更新を先送りにし,宍戸錠をキーワードに資料をまとめてみた。

矢作 ぼ くは昔から小説に錠さんを出してはいるんですよ。ただ、宍戸錠という名前で登場させていなかっただけで。殺し屋ではなく、映画俳優としては、何度もぼくの 小説に出てきています。たとえば、二村シリーズの二作目(「陽のあたる大通り」)、ぼくがまだ二十七~八歳の頃に書いた小説ですが、これにもすでに登場し ている。映画のロケ現場に、ひとりで拳銃の練習をしている男がいるんです。ぼくにとっては、錠さんは、半分は宍戸錠だけど、半分はエースのジョーですか ら。 矢作俊彦『フィルムノワール/黒色影片』刊行記念対談]宍戸 錠×矢作俊彦/エースのジョーとハードボイルド,波,2015年1月号.

「陽のあたる大通り」に先立つ1973年1月号から1974年5月号まで,チャンドラー原作,矢作俊彦脚色,ダディ・グース劇画による「長いお別れ」が連載された。第1回のクレジットに宍戸錠の名前があるとおり,この劇画に宍戸錠が登場する(上:1973年3月号,下:1974年2月号)。joe02
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  その後,漫画『ハード・オン』(1981)の終盤に登場し,『暗闇にノーサイド』(1983),『ブロードウェイの戦車』(1984)ではメインキャラクターの位置づけで招かれる。『舵をとり風上に向く者』のラストを飾る「銀幕に敬礼」に描かれているのも宍戸錠だろう。当然,監督作品「アゲイン」(1984),「神様のピンチヒッター」(1990),「ザ・ギャンブラー」(1992)のすべてに宍戸錠は登場する。近作では『悲劇週間』(2005)に“紛れ込み”姿を現す。そして,『フィルムノワール/黒色影片』(2014)だ。

未刊の『常夏の豚』(『気狂いポーク』として刊行予定とされている)に登場する殺し屋も宍戸錠を模しているのではないだろうか。 『複雑な彼女と単純な場所』に収載された「エースのジョー,喪われた映画」は,「すばる」1986年5月号に掲載されたもの。 joe

Admirable Restraint

1970年代初めのコンサート会場。英国のロックバンド,キング・クリムゾンのドラマーであったビル・ブラフォードは後に“Trio”と名づけられる即興演奏が始まった途端,握ったスティックをからだの前でクロスさせた。彼はその曲の演奏が終わるまで,音を鳴らすことはなかった。

その演奏がアルバム“Starless and Bible Black”に収載されたとき,彼は“Admirable Restraint”(賞賛に値する抑制)と添えられたうえで,作曲者としてクレジットされる。

インターネットが1970年代はじめに普及していたら,火田七瀬の葛藤はSFとして成り立ち得なかったように思う。「感情の劣化」ならまだ救いはあるが,もともとこんなものだよ,といわれても,異を唱えることができない。

巧拙を考えるとき,ブラフォードの主体性に思いをめぐらせる。

それから数十年。平沢進によるインタラクティブ・ライブがインターネットに拡大して企画された初期の頃のこと。サーバのキャパシティを超えユーザのアクセスがあり,ダウンしてしまうことしばしば。そのときだったろうか。平沢からのメッセージがサイトにあげられた。いわく,参加しないという選択でライブに参加する,という選択肢を選ぶ人が出てほしい,という趣旨だったと思う。

もちろん都合のよい話だ。

ただ,ビル・ブラフォードと平沢のメッセージの共通性,そして差異について考えたのは,たぶん東日本大震災後の計画停電のときだったと思う。当時,そんなことを記した記憶もある。

SNSに参加してなお,火田七瀬にも似た葛藤のような「なにものか」を抱えながら,ログアウトするのは容易い。にもかかわらず,ビル・ブラフォードのように胸の前でスティックをクロスさせる所作をとることで,そこから見えてくるものがあるような気がする。

四半世紀

大学がある町に降りたのは四半世紀ぶりだ。電車で日光に出かけたとき,何回か通過したことはある。だから駅が大きく変わったことは知っていたものの,実際に降りてみると,あまりの変わり様に唖然としてしまう。

線路の高架化によって,駅の東口と西口が行き来できるようになった。地方銀行と,しまい忘れたかのように埃と重力で打ちひしがれた吊るしを飾る小さな洋品店のみの,鄙びた通過駅の駅前でしかなかった東口がおそろしく開発されている。西口は昔からの道は変えずに,建物ごと,それもぽつりぽつりと建て替わっているものだから,立っているだけで記憶が混乱してくる。変わらない建物と,見覚えのない建物。大学へ通じる道のまわりはほとんど変わらず,川をまたぐ狭い橋も,渡りきった土手の景色も変わらない。ところが校内には見慣れない校舎が立並ぶので,ここでも記憶が混乱する。

ゼミの教授の最終講義に出かけた。世話になった記憶といえば,精神科のアルバイトを紹介してくださったことくらい。卒論も,就職も,もちろん私が相談しなかったこともあるけれど,相談に乗っていただいた覚えはない。いつも淡々とした先生だった。当時はあまり懐に飛び込んでいくような対人関係を築くことが得意でなかった。いきおい,適当な距離を保ち,大学時代をやりすごした。

最終講義をメモもとらずに聴いていた。「真善美」はあまり好きでないので「真愛美」とか,自己実現はそのプロセスを指すとか,抵抗感なくスッと入ってくる言葉の数々。教授に対する印象はまったく変わらなかったけれど,教授の言うことが,以前よりは少し腑に落ちた。

何せ勤めてから45年。どれだけの卒業生を送り出したのかわからない。200名を越す卒業生が集まった。懇親会までは出たけれど,それでも100名を越す参加者。必ずしも人望のある教授ではなかったと思う。なおさら,そのことに驚いた。

近況

このところ,古本屋に出かけても何も買わずに帰ってくることが多い。『侍女の物語』を読み終えなければならず,実家から持ち帰ってこなければならない本もそれなりの量がある。ある程度の本,雑誌は処分することに決めたにもかかわらず,だ。それも,すでに第一弾の処分で書棚の本の半分以上は処分した残りでの話。さらに自宅の本を整理していたら,さすがに持ち続けていることをためらってしまう本がかなり出てきた。

生涯,読み返さない本のほうが多いに違いない。さすがに半世紀を折り返し,自分のこの先と「もの」とのバランスを見直すことが少しはできるようなった。

ところが,そうなるにつれ,新刊書店で雑誌,本を買う割合が増えた。

昨日は『善き女の愛』(新潮社)を購入,ここ1週間で手に入れた雑誌の数もそれなりになる。それって,おかしくはないか?

今日は西日暮里で打ち合わせを終え,千駄木まで歩いてブックオフと古書ほうろうに。『アイルランドに行きたい』(新潮社),吉本隆明・プロジェクト猪 『尊師麻原は我が弟子にあらず オウム・サリン事件の深層をえぐる』(徳間書店)が100円だったので買って帰ってきた。

友人が社会人になる前の数週間,ホームステイと称してアイルランドへ出かけていたと聞いたことがある。『ダブリン市民』くらいは読んでいたものの,その頃,アイルランドと聞いて思いつくことはあまりなかった。映画『ブロンテ姉妹』の荒涼とした印象くらいのものだ。

『アラン島』を手に入れ,ウィスキーをめぐるエッセイを読むつれ,少しずつアイルランドへの興味が沸いてきた。友人がどうしてアイルランドへ向かったのか,聞いたかもしれないのだけれど,すでにどんな理由だったか覚えていない。ただ,よいことばかりだったと楽しそうに話す,その様子だけは今も記憶に残っている。

山甲

中学時代のこと。定期試験前になると,特に社会科は試験範囲のなかかから友人と問題を出し合った。もちろん感覚としては,なぞなぞを出し合っている以上の志の高さなど何一つなかった。

休み時間になると,机のまわりに集まってくる。地理の対策と称して,とりあえず地図帳を広げる。出題者は,できるだけわかりづらい地名を問題としてノートに記す。他のものは,競い合って地名を探すのだ。

回数を重ねるほど,いきおい回答時間は早まる。さすがに工夫の使用がないと思った頃のことだと思う。関西圏の地図を広げ,友人の一人がノートにこう記した。

山甲

私たちは血眼になって「山甲」を探すものの,一向に見つからない。休み時間が終わろうかという頃,ようやくピンときた。

「これ“岬”だろう」

私がいうが早いか,友人が“岬”という地名を指差す。

「きたないな。岬じゃないじゃないか」

「誰も山甲なんていってないぜ。君たちが勝手に山甲って読んだんじゃないか」

 

新本格化以降の推理小説,メタフィクションを読んで感じるのは,“岬”を“山甲”と書くような技法だ。一度は何がしかに楽しみはあるものの,それは続きはしない技法だ。

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