へ―ル

ベルギーのヘール(ゲール,ギール)について知ったのは別冊宝島『精神病を知る本』の中,赤坂憲雄氏の文章を通してだ。

この本は古びていないところがあるからなのか,ときどき読み返すので,文庫本になってから買い直し,机から届くところにある。卒論を書くとき,岡田靖雄氏の著作より影響を受けたと思う。

当時,反精神医学派の本を少しだけ多く読んだおかげで,私の記憶の中では小澤勲氏というと認知症ではなく,めるくまーる社や田畑書店から出たアジテーションのような文章を書く精神科医という印象というように,時間が止まってしまっているものが少なくない。宇都宮病院事件後に出た本では熊本日日新聞社編の『ルポ精神医療』がよかった。北山修氏による推薦文のためではないと思う。

90年代の終わり,竹内敏晴さんと打ち合わせたとき,「最近,精神科領域で森山公夫さんの評価はどうなのでしょうか」と尋ねられたことがある。竹内さんがご存じだったことに驚きはなかった。その後,島成郎氏追悼集で,広田伊蘇夫氏とともに森山公夫氏の名前をみた。皆,卒論で参考にした本の著者だ。

軋み指数

1981年,King Crimsonを再始動させたロバート・フリップが答えたインタビューのなかに「軋み指数」という表現があった。古い椅子をゆするとギシギシ軋むように,古い曲を演奏してみると軋むものがある。1969年から1974年までのCrimsonの曲のなかからフリップは軋むものを除外して,“太陽と戦慄パート2”と“レッド”のみをライブのレパートリーに加えたと説明した。このインタビューは渋谷陽一によりスティーブ・ハリスを介して行なわれ,NHK-FMの「サウンドストリート」と雑誌「ロッキング・オン」に掲載された。

今日,連載のことで執筆者である先生とメールでやりとりをしてると,辻邦生が『小説への序章』のなかで記していた「物語」と「小説」の違いのくだりを思い出した。その本のなかで辻邦生は「物語」は「それからどうしたの?」と続いていくのに対して,「小説」は「なぜ,そうしたの?」の答えに向かっていくものであるというように対比させていた記憶がある。

「それから?」と続きが知りたい人にとっての関心は「どうすればどうなるか?」で,「なぜ,そうなったか」ではないと書きながら,竹内敏晴さんの『癒える力』のなかの一節が続けて思い出された。

『……のために』ということは,未来のために行為することで,今,をゼロにすることです。

本を捲りながら,その前後を読み始めたところ,結局,最後まで読んでしまった。いまだにひっかかっていることにつながる言葉が至るところに潜んでいたのである。

企画を提出したのは1994年。翌々年に竹内敏晴さんとコンタクトがとれて連載スタートは1997年。小社の企画としてまとめあげることができず,晶文社さんから単行本化されたのが1999年。 軋むどころか,読み返すたびに発見がある本。

Turkish D

King Crimsonが初来日した1981年12月,追追加公演あたりが結局,来日初公演になったのが9日だったと思う。後に“Beat”に収録される曲も何曲か演奏された。

当時,ポール・ボウルズ meets スティーブ・ライヒと称されたため,その曲は“Turkish Tea”だと思い込もうとしていた。会場ではこう聞こえた。“Turkish D”。ゴロが格好よいので,“Turkish D”と日記などには書いていたのだけれど。

Podcastで配信された“Persian E”。こ奴は確信犯だというか“Turkish D”でよかったんだと。あれから30年以上経て思う。

ポルノグラフィア01

週刊ポストで矢作俊彦が「ポルノグラフィア」の続編というか,続きの企画をはじめたという。

「ペントハウス」の「ポルノグラフィア」は,かなりチャレンジングな企画で,このテーマであってもシチュエーションの引用という箍をはめるというか,方法論なのか定かではないが,あれやこれの引用がみてとれた。

さて,今回の作品はどういう趣向なのだろう。

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