結城昌治の『白昼堂々』(角川文庫)を読んでいる。矢作・司城の『百発百中』と開高健の『日本三文オペラ』をつなぐような感じがした。といっても,『日本三文オペラ』→『白昼堂々』→『百発百中』の刊行順なのはいうまでもない。
A LITTLE SISTER
正孝は山形生まれのはずが,やけに地下鉄の乗り換えが詳しい。日比谷線で六本木直通という謳い文句に誘われて大学を選んだようだけれど,直通1時間近くというなら日吉だって私の子どもの頃から直通だ。乗り換えの情報は得ていても,距離感は把握していなかったのだろう。
彼は勤勉だった。それは市販のアダルトノヴェルに納得いかず(決して満足せずではない),みずから筆を執ってしまうような勤勉さだ。
正孝の十八番は山形に残した妹との危うい話だったけど,傍目にもうそだなあとわかるような,それは出来だった。ラーメン食べてる小池さんのみたいな正孝の妹が松田聖子そっくりだというのも,よくわからなかった。
『ららら科學の子』を通勤途中でなんと読み終えてしまいそうな勢いというか距離になって,ふと妹を思う。
10歳違いの妹との会話は,彼と妹になんだか似ている。もはやそんな会話はしないけれど,妙な距離感がある。
家内とはそれはないものの,娘と話していると,ときどき娘なのか妹なのかわからなくなってきて,妹よりも娘のほうが私の感覚に近いので,なおさらに混乱することがある。
距離
当初,地の底まで潜り込みそうであまり好ましくなかった後楽園駅南北線ホームへのエスカレータが悪くない。
あれだけ距離があるとエスカレータのスピードに身を委ねて本を数ページ読めてしまう。飯田橋の南北線から東西線への乗り換え距離が短く感じられるし。
ただ,南北線の無臭感は,年に数回利用するだけのころから感じていた。大江戸線はまだ狭さで臭いが感じられるけれど,南北線はなんだか個性的でないところか個性のような気がする。麻布十番の駅はその2線が交差(とっいってもあの距離と傾度は無茶だ)するのだから,通っていた頃も今も,なんだか不思議な佇まいだと思う。
本屋
ときどき続けて本を買う。地元には伊野尾書店があるので,通勤途中に利用できるといいのだけれど,ここ数年は大江戸線を利用していないので,なかなか出かけない。ただ大江戸線を利用していた頃,事務所は赤羽橋にあったので,結局,六本木で途中下車してあおい書店で本を買っていた。まちがってもABCまで行くことはなかった。
昨日は,中井のmackycafeへ家内と昼食へ取りに行った。そのまま伊野尾書店へ行って,結局,買ったのは斎藤環の『被災した時間―3.11が問いかけているもの』(中公新書)。いつも,あれこれ眺めて後,どこでも手に入る本を買う。
今日は茗荷谷のBooksアイで「papyrus」を買った。事務所に『ららら科學の子』を置き忘れてしまい,地下鉄とエスカレータで読む本を探していて,岸田繁のインタビューをきちんと読もうと思ったのだ。
高田馬場では懲りずに結城昌治の『白昼堂々』『夜の追跡者』をビッグボックス前の古本市で。
昨日,本を整頓していたところ,読んでない本がたくさん出てきたのに。どうしたものだろう。