週末

土曜日は昼前から丸の内まで。資料を読みながら,必要な手続きとスケジュールなどを確認していく。もっとも重要な計画書がまとまっていない。17時過ぎに出て帰宅。夜便で書棚が届くというので,待っていると,20時前にようやく宅配業者がインターフォンを鳴らす。品物を受けとり,組み立てに入る。途中,夕飯をとり,23時前に4面の書棚が出来上がった。ちらかった本を差し込んでいく。あと5本くらいあると,それなりに家中の本が片づくのだけれど。ただ,本を整理していくと,かなりの数,雑誌があることに気づく。この整理がむずかしい。

日曜日は午前中に歯科受診。そのまま会社に出る。午後からの打ち合わせの資料を作成する。13時半頃,会社を出て品川まで。運河沿いのマンションで打ち合わせ。緩和手術を受けて2週間,以前のご様子に比べると,かなり痩せられていたものの,打ち合わせを始めると,貴重なお話しがいくつも。30分程度に収めるよう準備していったものの,予定を1時間越えてしまう。16時に家内と待ち合わせしていたところまで,1時間遅れて着く。アトレを見て,構内で夕飯をとり帰宅。

黒岩重吾の『飛田ホテル』を読み終えた。扱っている場の意味がやや近いところでは島田一男の『湯煙に消ゆ』があるが,島田一男のほうが数倍面白い。で,ルブランの『813』を捲り返している。

1/28

「コンフィデンスマンJP」の物語を思い出しながら,いつの間にかそのなかに入り込み,ところどころ映画館でスクリーンを眺めているという奇妙な夢を見た。

会社は1時間ほど遅れて出社。校正を戻し,新しい企画用に元原稿をスキャンしてテキスト化する。雨が降ってきたと思ったら雪に変わる。19時まで仕事をして退社。ふたたび雨に。茗荷谷の日高屋で少し休み,黒岩重吾の文庫を読む。1950年代後半に書かれた作品だけは説話調で,よくいえば,貴種流離譚を意図しているような印象。1960年代に書かれた他の作品と少しだけ違う。帰宅し夕飯をとり,娘のiPhoneのデータを外付けHDDにバックアップする準備。やや手間がかかったものの,無事バックアップが始まった。

花粉症の舌下免疫薬を止めてから半年以上になる。昨年は効果が感じられたので止めたものの,このところ花粉症っぽい感じがする。今年は少しだけ薬を飲むことにする。処方してもらわなければ。

1/27

雨が降るかもしれないということで傘を携えて出社。20時過ぎまで仕事をして帰る。電車は朝のほうが比較的空いている。帰りは混んでいる印象。

通勤の行き帰りに黒岩重吾の『飛田ホテル』を捲る。2話目まで読み終えた。これと比較すると,開高健は実に立派な小説家だったのだなと思う。

島田一男の「銀座特信局」シリーズをたのしみに読んだのは40年近く前のことだ。春陽文庫で赤カバーが出始めた頃。他のシリーズに手を出さなかった。キャラクターが魅力的で,物語も面白く感じた。ただ,登場する記者のなかの「加藤」だったかが,結核菌持ちで妻がいるという設定で,水商売の女性とはキスするものの,家庭にはその手のことは持ち込まないという設定が少しずつ気になってきた。物語だから,とはいえ,妙な倫理観(ではないが)だな,と。

その後,10年以上経ってから,結城昌治や三好徹,松本清張,水上勉などの小説を読むたびに,世の中に水商売の女性がいなかったら,推理小説の被害者はどれだけ減ったことだろうと思うようになった。社会派推理小説の隆盛後,被害者役として水商売の女性をあてはめる小説が本当に多いのだ。

私にとって,水商売の女性の印象は矢作俊彦の小説を通して固まったので,社会小説で描かれる被害者,時には加害者としての水商売の女性は,あまりにかけ離れたものというか,粗雑な人物造形だなとしか思えなかった。そのうち,矢作俊彦のように職業を横のクラス・差異として描くことは稀有なものなのだと気づいた。ほとんどの小説家は憐憫や思慮に乏しいものとして扱う。唯一,半村良の小説は,意外に職業をクラスとして扱うものがあるけれど,他の小説家にとっては,物語をすすめるうえで都合よく用いられた印象を受ける。

黒岩重吾の『飛田ホテル』も,まるで矢作俊彦が言うところの“よい米兵”の臭いが強い。同じ素材を扱っても開高健ならば,このようには書かなかっただろうなと,読みながら何度も思った。

1/26

週末に続き,雨が降るかもしれないということで,傘を携えて出社。夜に,娘の誕生日の食事があるので,早めにあがる。

18時から茗荷谷のフレンチレストランで夕飯。家内とほど同じタイミングで入店。娘は少し遅れてやってきた。ここ数年,家族で記念日などに利用することが多いお店。昨年末のクリスマスのときは予約がとれなかったので,数か月ぶりの利用。ここの生牡蠣は大ぶりでとても美味しい。最初に洋風茶碗蒸。前菜は生牡蠣。前回,あたってしまったものの,今回は大丈夫だろうと思い注文。前菜もう一皿は蟹と牡蠣と白子をきのこと野菜で合わせたグラタン。メインは鴨のコンフィとオレンジソース。鴨肉はもちろん,オレンジソースがかなり美味しい。白ワインを飲み終えたので赤を頼もうとしたところ,1杯にほんの少し少ない量のグラスをいただく。先ほど空けて,これだけですがよろしければ,と。遠慮なくいただく。デザートはチョコレートケーキと柚子とラズベリーのムース。こちらにもバナナケーキと揚げたお菓子がサービスで添えてあった。

この時期なので,客は私たちのほかにもう1組だけ。2時間ほどでゆっくりといただいた。

帰宅後,眠くなってしまい,1時間ほど横になる。起き出して再び眠る準備。とはいえ,そんなにすぐには眠れず,2時くらいまで本を読む。

家族の誕生日と結婚記念日,クリスマスくらいだから,年に5,6回,家族でそこそこあらたまって食事をとる。娘の行動が私たちとはずれてくるので,その回数が増えることはないかもしれない。自分が娘と同じ歳だったころを思い出すと,それでもまあ付き合いのよい家族だと思う。

ズミラマ

早稲田通り沿いのブックオフを覘いたときのこと。泉昌之の『ズミラマ』が均一棚に並んでいたので,つい捲ってしまった。探せば家のどこかにあると思うので買いはしなかった。1ページ4コマのパノラマ映画を意識したコマ構成に映るけれど,連載当時を知る者として思い出すのは篠山紀信の「シノラマ」だ。

「ズミラマ」が意識したのは「シノラマ」であって,「パノラマ」と仮に関連づけられたとしてもそれは後付のものだろう。

石森章太郎が1950年代末頃,パノラマ漫画を思いつき,出版社と掛け合ったものの受け入れられず,そのまま縦に割っていったページをつくったくだりが,彼の自伝マンガのどこかに載っていた。同じ頃,どのページにも登場人物すべての姿が描かれているマンガを考えたという流れだったと思う。

石森章太郎の思いつきは,映画をいかにマンガのコマに落とし込んでいくかという工夫の一環だったのだろうけれど,泉昌之の『ズミラマ』は,ただ,「シノラマ」をもじって4コマ漫画を描くというアイディア,それも1ページにつき4コマしか描かなくてよいことも関連しているのだろう。

昭和50年代の終わりから60年代にかけて,4コマ雑誌隆盛時期があった。いがらしみきおが名を上げたのはその時期だ。弟はこの手のマンガ雑誌が好きで,発売日にコンビニで買って読み,私にまわってくることしばしばだった。月刊誌(もしかすると隔週だったかもしれない)で4コマ漫画ばかりの特殊な空間だったものの,後に山上たつひこまでが4コマ漫画を描くようになった。

「ズミラマ」を今,手にとっても(少ない人数だろうけれど),当時の雰囲気とともに捲らなければ,零れ落ちてしまうものが少なくない。とくに泉昌之のマンガは。零れ落ちるものを拾い集めたとすると,それが泉昌之のマンガ評になる気がする。

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