2003年6月
06月01日(日) イーノとフォーレ |
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数年前,テレビからイーノの“By this river”が流れてきて,ギョっとしたことがある。某映画のテーマ曲に使用されたそうだ。遡ることさらに数年前,私は,この曲を留守電のBGMに用いていた。カッコ悪いったらありゃしない。 思うに,環境音楽やらなんとかいう前に,イーノの本質はガブリエル・フォーレの直系ではないだろうか。 たとえば,マダム・ロンの奏でるフォーレ「ピアノ四重奏曲第1」など,録音も相俟って,イーノっぽいといえなくもない。(ちょっと強引かな) とはいえ,この曲,クラスター一派も助っ人してるしな。 今,思い付いたのは,このアルバム“Before & After Science”を通して,イーノと平沢進がつながること。 つなげてどうする。 |
06月02日(月) 恥ずかしいタイトルだけれども |
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あるときまで,一番聞いたサントラは,実のところ「それから」だった。せりふを含めて,BGMに最適。愛聴したものだ。 映画の出来とサントラの出来は,なかなか合致せず,強いていえば「シラノ・ド・ベルジュラック」が次点だろうか。 それらを一気に蹴落としたのは,邦題「キルトに綴る愛」のサントラだ。 実のところ,これを聞いて映画のシーンなどひとつも思い出さない。目に浮かぶのはトルーマン・カポーティの長・短編だ。周回おくれのアッシャー家といわれた「遠い声 遠い部屋」には,特にぴったりする。「草の竪琴」など,初期の作品のBGMには,これ以外思い浮かばない。 けだるいアメリカ南部の空気が漲って,ラジカセで流したなら,気分はもう南部。あまりスペックのいいコンポにはそぐわないかも知れないが……。 ありし日のウィノナ・ライダー目当てに観に行ったはいいが,BGMの心地よさに途中で眠ってしまった。これも,今は昔の話だろう。 |
06月03日(火) ディケイド |
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今更ながらに「昭和」で十年を区切っていくと,しっくりすることを実感する。 ロックでいうならば,昭和40年代のロックという区切りはなかなかスッキリしていて,下手に1970年代よりも明確になる面がある。 昭和50年代というのも捨てがたい区切り方だ。 (ほぼ)パンクにはじまり,フュージョンの荒波を乗り越え,第二次ブリティッシュ・インベンションを迎え,MTVに潰された。 このころ,火の宮(サワキカズミ!)というパンクバンドがあり,「おれが代」という曲をテレビで歌ったことがある(もちろんオリジナルは君が代)。壮絶な苦情処理だったそうだが,「おれが代」という響きは,いまだに気に入っている。(このバンド,右翼パンクスだった筈だけど,よほど,日活アクション映画っぽいスタンスじゃないか) |
06月04日(水) 花と機械とゲシタルト |
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ダディ・グースの『少年レボリューション』刊行を歓喜した折,ふと,他に『レボリューション』シリーズがあったことを思い出した。作者は山野浩一。 その名もNW-SF社という出版社から刊行されたものだ。 この出版社の社長が山野氏だから,社長みずから自分の短編集をまとめたことになる。八切止夫の日本シェル出版みたいなものだといえなくはない。 それまで,『殺人者の空』や「ザ・クライム』などに分かれて発表されたシリーズを一括したもの。今読むと,ちょっと時代がかっているだろうか。 『メシメリ街道』にやられて以来,山野浩一を読み漁った時期がある。(といっても寡作だから,見つけだせれば読破可能)彼の唯一の長編のタイトルが『花と機械とゲシタルト』。精神病院を舞台にした異色SFといっても通じる人にしか通じないだろう。 当時,精神病院でバイト(医者じゃないけど)していたこともあり,かなりはまった。 読み返すと,短期目標に定めてアプローチする昨今の臨床心理の動きにかなり近いことに気づく。もちろん,根本が解決(何をして解決だというのか?)しないままなので,必然のカタストロフィも用意されている。 表紙は,まりの・るうにい。稲垣足穂のイメージが強いのだが,改めて何の本の表紙だったか思い返すと,浮かんで来ない。 |
06月05日(木) 世の終わりのための五重奏 |
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今世紀のフランスを代表する作曲家の一人,オリヴィエ・メシアンは,第二次大戦中,ドイツ軍に捕らえられて,ドイツとポーランドとの国境,シレジア地方・ゲルリッツの捕虜収容所に収容されていた。彼の唯一の室内楽作品『世の終わりのための四重奏』が制作,初演されたのは,この,飢えと強制労働と零下三十度の厳寒のなかでのことである(後略)『世の終わりのための五重奏』より という件からはじまる小説の作者は山口泉という。 1987年初版だから,たぶん読んだのはしばらくしてからのことだろう。 はじめてメシアンを聞いたのと,この小説を読んだのはほぼ同じ時期。どちらが先だったのか,はっきりしない。 そう。メシアンを聞きはじめたのは,割と遅かったのだ。ライヒだけではない。ケージやシュトックハウゼン,ブライヤーズ,ノーノ,オアナなどなど,10代のころ,判断を問われた作品に出会った。はたして,それが幸運だったのかどうか。ほとんど面白くなかったのだから。 あのころ,神奈川県だか横浜市だかは,文化交流やらなんやらで無料コンサートをやたらと開いた。そのツケが今頃きているのでは,という話はさておき,紅葉坂や山下公園あたりのホールへは,よく出かけた。 ただ,企画の多くが現代音楽だった。ほんと,イーノのアンビエント・シリーズからほどして,実際にギャビン・ブライヤーズ指揮する(いや,指揮はしてないな)オーケストラを聞いたのだ。それも無料で。タイタニック号の沈没。 ケージの4分33秒(だったっけ)も。ああ,スノッブな客ばかりで,わざとらしい咳をしたり,からだをゆすったり。心地悪いったら,ありゃしない。 山口泉の小説は,今日に至るまで,すべて1本のストーリーの断片のようなもの。読みはじめると,くせになる。ジンというよりは,ウィルキンスンのジンジャエール。 強制収容所と,引っ越したばかりの部屋の共通性を展開しようと思ったのだが。 ソエトにメシアンは似合わない。 |
06月07日(土) SPA |
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初期の江戸川乱歩と戦後の横溝正史を繋ぐとすると,キーワードは探偵小説ではなくて,温泉,湯治になるのではないだろうか。 その影響か,10代のころから温泉地に妙な趣を期待していた。漂う濃厚な時間というか,ボートレールの感嘆〈いずこなれど! いずこなれど! この世の外ならば〉,いわゆる〈ここではないどこか〉。 なのに,どこへいっても,そんなイリュージョンを満足させてはくれなかった。草臥れ過ぎて,欲望を支えるどころか,みずから立つのもままならない場所ばかり。よもや中井英夫の『大望ある乗客』のように,泊まり客が犯罪計画を抱いて集まるようなシチュエーションは初手から埒外だ。(あれはバスの話。たとえとしては不適切ではあることを承知のうえで。とはいえ,bathとbusだから,うまく展開できるかも知れない) むしろ数年前,クリスマスと正月をはさんだ短い時期に,安くで訪れたシンガポール,参加したツアー客のほうが数万倍も怪しかった。 なにせ,集合写真というと姿を消すカップルや,50歳過ぎの兄弟に40代の女性3人。よもやボウルズに触発されたわけじゃあるまいし,とにかく空気が澱んでいて,毎日,ドキドキしたものだ。 さて,北関東のある温泉に出かけたときのこと。野天風呂と円形の室内浴場は,ともに「これぞ,温泉地」とでもいうべき陰影に満ちていた。 中年おやじがたまたま並んで入浴でもしていたら,話の途中で偶然に,共通の友人がいたことが判り,さらにその友人の不可解な死を振り返ったりしそうな雰囲気。 残念なのは,温泉旅館も,われわれも,関係を歪めるような物語をもっていないことだ。お膳立ては揃いながら,やけに散文的に過ごさざるを得ない。 ストレスは募る。 夏目漱石や川端康成の小説を読んでいると,どうにもうらやましくなるのは,舞台として描かれる温泉地だ。ならば……。 佐藤亜紀にならって,ブダペストをめざす。まずは資金を貯めなければ。 |
06月08日(日) すべての芸術は |
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音楽を憧れるといったのは,たぶんショーペンハウエル。 この場合の「音楽」とはクラシックを指してのことだろう。オペラにゴシップを期待していた時代だったとはいえ,所詮ヨーロッパの狭い「音楽」を指してのことだ。 要は,リズムとメロディを憧れるのではないだろうかと思う。 80年代,ライブハウスにいっては,鼓膜が破れるほどの大音量に抱かれ,翌日まで耳鳴りが止まず,どこかに突き進んでしまいたくなるような焦がれが燻る。いまだに思い出すと,アドレナリンが沸騰する。 入院していた患者さんのひとりは,医師の許可をもらい,レインボーのコンサートにいったが,興奮さめやらず,夜中まで廊下で「リッチー」と絶叫していた。このときばかりは,制止しようとは思えなかった。精神疾患患者との共通認識なんて,生産性さえ度外視すれば,意外と簡単に形作れてしまうのだ。 いつの時代だったろうか。西欧でダンス音楽が禁止されたことがあるという。政治に託つけて。(かなり曖昧だから,別のときに調べてみたい) 理由は歌詞ではない。リズムが政治の統制に枠外にあるからだったと記憶している。 リズム認識なんて,テクノロジーと流行で自在に変化するものだけれど,一気に飛び越えてしまう強烈なリズムがあることも事実。(YMOの編集盤のことではない) あのころのように惹かれるだけではなくなった平沢進の作品だけれど,時々,本当に一日中,繰り返して聞いてしまう作品を提示する。 アウト・オブ・デイトな話だけど,バンドスタイルの緊張感さえ蘇れば……などと思ってしまう。 |
06月09日(月) otherとanother |
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30歳での自らの死を予告し,その通りにしたジャック・リゴー。その名を唱えながら, 「健康なんて,病気の除外診断でしかないのに,いつまでも大手振って日のあたる大通りを歩いていられると思うな。いつか寝首かき切ってやる。」 欲望を持続する体力に乏しいせいか,幾多の覚悟が変節するなかで,あまり品のよくない志を忍ばせ,これだけは変わらずにいる。 イワシの頭を拝むのと,たいして変わりないことだけれども。殊,精神科で患者さんと接していたころは,いまよりも高圧的な態度で,そんなふうに考えていた。 Oneが問題かかえているからthe otherに具現化する。Oneを変えられなければ,anotherに期待するしかないというのが,得意の論法だった。 ところが,だ。 最近では,「健康=日常生活」におきかえられつつあるようなのだ。どうにも居心地が悪い。 「そんなの詭弁じゃないか」と,声を荒げることはできても,たとえば愛煙家の行く末を横目に見ると,勢いが萎んでしまう。 たとえば,「がんになりやすい性格」なんていわれても,新手の自己開発セミナーを生むだけ,まさかナチスをめざしてるわけではあるまい。それじゃ,リーフェンシュタールが縁側でする茶飲み話の間の手だ。 病気になったら辛い,だから,ならないように学習する。では,どこに生きた=人生があるのだろう。 ANOTHER GAMEは前線にある。 気絶したまま幽霊のように徘徊する。 なんか,やけに80年代っぽい話だ。ボケはじめたか? |
06月10日(火) バカ兄弟の店 |
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当時,高円寺,吉祥寺,国分寺に,それぞれ違うバカ兄弟の店があった。 バカ兄弟とは,ドリフの有名なネタのこと。チーチー&チョンのパクリだとは周知の事実だけど,こっちのほうが面白かったりする。 リサイクルショップといえば聞こえはいいが,手書きのラベルが貼られただけのカセットテープを売っていたり(こういう店は意外と多い),どう考えても買い手がいそうにないものを平然と飾っている。というか,放ってある店を指す。ホルモン? バカ兄弟の店とは友人の慣用句だ。いつの間にかそれで通ってしまうのだから,ジャーゴンなんて何に由来するかわかったものではない。 なぜか,そろいもそろって,ジャージを纏った兄弟が経営していた。いちばん通ったのは高円寺の店だ。 一時,高円寺の北口に昌己がアパートを借りていたので,週末は鮨パーティとは名ばかりの,胃腸を酷使する所作に余念がなかった。 言い出したのは誰だったろう。喬史だ。 「テイクアウト鮨のメニューにある〈パーティーずし〉って,パーティーのとき一人が食べるのにちょうどいいくらい入ってるんだぜ」 5人いたので,パーティー鮨(つくづくシュールなネーミングだ)5人前。最初に見たとき,そんなわけないことに気づいたはずが,誰も何もいわず黙々とつまんだ。 「ばかやろう。イカは先食っとかなきゃ辛いぞ」って,お前,こんなこと年がら年中やっているのか? 徹は,ナカジマ電気(?)のカセットデッキなどが,かなり安価で手に入ったので,よく通ったらしい。 値段はどうにでもなったし,第一,通りすがりに兄弟のようすを窺うのを楽しみだったようだ。そ奴から店のようすをよく聞かされた。案外,使えないものを掴まされた話も多く,どっちもどっちだったのだろう。 同じ頃,友人たちは,いやだいやだといいながら,単発版の「北の国から」を楽しみにしていた。 ちょうど,高円寺の八百屋が菅原文太で,娘が裕木奈江という(めまいがしそうな)話が放送された。ダウンタウンの松本人志がよく口にする「誠意ってなにかね?」という台詞があった筈だ。 われわれは,「これは,高円寺北の国から,だな」と看破したものの,他人にはいえなかった。 |
06月11日(水) 世界マーチン |
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はじめて好きになった映画がMr.BOOシリーズ(それも吹き替え)という友人。そ奴とモンティ・パイソンを観に行ったときのこと。終了後の反応が頗る良い。 当然のように,またひとりファンを作ってしまったなと思いながらも,「コメディ映画」という範疇以外に共通点ないよな? と気になった。 「やっぱり,広川太一郎だよな」 なるほど,吹き替えつながりかと納得した。 モンティ・パイソンに限って(かどうかは知らないが)名画座で,「吹き替え版」と謳っても(謳ったほうが)客の入りがよかった時期がある。 エリック・アイドルといえば広川太一郎の声が浮かんでくるファンは意外に多いのではないだろうか。友人たちの間ではテレビで彼のナレーションや吹き替えを聞くたびに「うるさいよ」「そんなこと言ってないだろ」と突っ込みながら,爆笑していたものだ。 実のところ,スティーブ・マーチンの映画はあまり肌に合わなかったが,その友人に誘われて観た「サボテン・ブラザーズ」だけは別だった。いまだに時々観ることがある。 「バロン」や「フィッシャー・キング」を遡ると,一方でジョン・ランディスにつながるのではないかと思う。 テレビ・ドラマではまったく別の話になってしまった「お茶の間」。映画化されたならば「サボテン・ブラーズ」に通じるカタルシスに漲るのではと期待していたものの,いまだにその気配なし。 「バタアシ金魚」に感化され坊主頭にしたのは徹だ。その容姿に「ぼ,ぼ,ぼうず……」と,絶句したギャッツビーの香り(臭い?)をぷんぷんさせた知人の顔を思い出す。 |
06月12日(木) 自転車泥棒 |
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傘と自転車は天下のまわりものといって憚らなかった友人がいる。正確に記すと,2人だ。 傘をぎっちゃったことについては,書くまえから「盲獣」の乱歩のように,「だがそれはもはや蛇足である。作者も飽た。読者諸君もおそらくは飽き果てられたことであろう」というようなルーティンだった。(盗られたほうはたまらない。といっても実は私の傘は,わらしべ長者のように,いつの間にかグレードアップしている。故意に取り換えているつもりはないのだが。) 自転車については,ひとつひとつ,いや,一台一台がドラマを生み出した。 下宿生活をスタートさせた徹は,50ccのバイクを持っていたものの,近所に出かけるには勝手が悪かった。喬史に「どこかに自転車落ちてないかな」などと,とぼけたことを聞いた。 「駅前の自転車置き場に夜中いってみるか。落ちてるかもしれないぜ」 しばらく後の深夜,落ちている自転車を探しにいくのに,懐中電灯とドライバー,ペンチなどを抱えた,不自然な姿の2人組がいた。 「落ちてる,落ちてる」 嬉々として,持ち運びやすい自転車を探してまわった。 突然,目の前がハレーションを起こした。(ああ,ありきたりの形容で申し訳ない) 警官隊に包囲されたルパン3世のように,いや,まったくそのもの。某県警に包囲されたのだ。 あとから,徹は「だから県警は,やなんだよ。ひまだから,ネズミ取りばっかりだし。警視庁を見習えよ」 これを,八つ当たりというのだろう。 「何してるんだ,お前ら」 「自転車が落ちてたんで」 「!」 住所,所属をばっちり記録され,「あの自転車は落ちているんじゃない。保管してあるんだ」と説明を受けて,「そうなんですか」と納得。その日は帰ってきた。 自転車については,もうひとつのドラマがあるので,それは明日記す。 |
06月14日(土) 続・自転車泥棒 |
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「引っ越し」と「自転車泥棒」は,かなりの割合で相関するのではないだろうか。 1年後。喬史が引っ越した。 駅からアパートまで数分の距離というのに,彼には,その数分ががまんならない。加えて,学校の行き帰り,線路際には,無数の路駐自転車。それらを目にするたびに,理不尽さに駆られるのだという。 「路駐が許せないんだ」 彼は,時に正義感に燃えるのだ。いや,まったく正義の人であった。思えば,アメリカの正義に,よく似たものだ。 ほんとうかどうかは定かでないが,せめて一台でも減れば,地域住民のためになるだろうと,意を決して(せいぜい,いつも頼んでいる上海麺を五目焼そばにする程度の決意だと思うが),手頃な一台を駅前から放逐することにした。 もちろん,アパートには置かず,近くに路駐していた。 彼の,より近くの住民にとっては,やっかいな路駐自転車がさらに一台増えることになったが,そんなことに気をとめる彼ではない。 その日,彼は調達した自転車にまたがり,踏切向こうの商店街をめざす。遮断機が降り,電車が通過するまでのわずかな時間。遮断機の向こうに親子づれの姿があった。 普段なら,目をやることもない2人だったが, 「お母ちゃん,あれ,僕の自転車だよ! あれだよ」 「何言ってるの。そんなはずないでしょ」 「ぜったい,そうだよ。この前無くなった自転車だって!」 聞こえてきたのは,身も凍るようなやりとりだ。 ひゃ! うるさいぞガキ! そんな大きな声で,まわりの迷惑考えろ! そんなモノローグがあったのだろう。 電車が通過している間にハンドルを180度切り,きた道をあわてて戻っていった。 その後,彼は,その自転車を駅前に,そぅおっと放した。 さらにしばらく後,妙に甲高い声色で「お母ちゃん!」,身ぶり手ぶりで,そのときのようすを雄弁に語る彼の姿は,百歩譲っても,自転車泥棒そのものだった。 当時,彼が好きだった映画は「ミツバチのささやき」。ベ平連の正義よりは屈折してはいたのだろうが……。 |
06月16日(月) おでん |
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喬史の侵した非(反)社会的行動は枚挙にいとまがない。それらを暴こうというのではなく,また,決して馬鹿にしているのでもない。馬鹿馬鹿しさのなかに誘う,われわれのやりとりが,実はこんな感じだったのである。 NHKの報道番組に覆面で登場し,それを契機に某ねずみ講をつぶしたのもこ奴だ。結婚式のスピーチでは,ねずみ講ネタのオン・パレード。すねに傷もつ同輩ばかりで,こ奴をマルチに勧誘した凄腕まで登場したときは,爆笑につぐ爆笑だった。みんな,誘いにのった口だ。 さて,幻のビデオテープがあった。今日まで陽の目をみず,たぶん数十時間で消し去られたものだ。 当時,こ奴はコンビニでアルバイトをしていた。熱意はあるのだが,いつの間にか非(反)社会的行動をとってしまうのは常。 深夜のバイトに入った奴は,防犯ビデオがまわっていることも知らず,こっそり,おでんを食した。ひとつ,またひとつ。 よほど,うまかったのだろう。おでんとともに,至福の一夜を過ごしたと,後に述懐している。 もちろん,即クビだ。 われわれは想像する。うまそうな顔で,大口を開けておでんを食べる喬史のようす。ではなく,そのようすが映ったビデオ。 ああ。ぜひ,見てみたいものだ。 弟から「trigger happy TV」のビデオが届いた。さて,観ることにしよう。 |
06月17日(火) 馬は丸顔 |
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いしかわじゅんの「パンクドラゴン」と手塚治虫の「火の鳥」の共通点は,掲載誌が廃刊になること。いうまでもないだろうか。 それにしても,まさか「野性時代」が廃刊になるとは。お陰で「犬には普通のこと」は中絶してしまった。 (たぶん)大昔の新潮文庫は別にして,内田百閒を大々的に売り出したのは旺文社文庫。これは旧かなづかいのままで,ヒマラヤ山系氏が各巻にていねいな解題をつけていた。 私は旺文社文庫で,内田百閒に遭遇したくち。当初は「冥土」「旅順入城式」など,漱石の「夢十夜」をさらに骨抜きにしたような作品群から入ったものの,結局,泥沼のように身辺雑記にのめりこんでしまった。 田村義也の装丁も実に上品だった。 80年代なかば,サンリオSF文庫と前後して,すべて廃刊になったとき,あまり惜しむ声を聞かなかったのはなぜだろう。 岩波文庫に一部の作品が入ったころ,旧かなを捨て去った福武文庫版が登場した。面白かったころの小林恭二が印象的なシリーズだが,バラードなどSFにも目配りをみせ,ミルハウザー,カルビーノ,なんといってもケストナーの終戦日記。ここに内田百閒の作品だから,サンリオSF文庫と旺文社文庫が合体したような(不吉な)雰囲気を醸し出していた。 岡山の名士ということで,社長の独断で入れ込んだそうだが。そういえば,やたら豪華な箱入り全集を出していたな。 そんなことしたからか,あえなく撃沈。(今も出ているのだろうか) 「ノラや」「御馳走帖」などで地道に版を重ねていた中公文庫は,今も手に入るが,まさか新聞社の傘下に入ってしまうとは。 新潮文庫。朝日新聞に吸収される日がくることのないことを祈念している。(別に,することはないのだが) ちくま文庫。毎日新聞と連れ立って,「りそな」みたいなことにならないでほしいものだ。 内田百閒には関わり知らぬところだろうに。 |
06月18日(水) 特攻隊だけど,ひとりきり |
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喬史に日払いのバイトを紹介される。 土・日のいずれか,当時の金額で1日8,000円程度だった。仕事はオフィスビルの蛍光灯掃除。地道な作業の繰り返し。9時にはじまり,途中昼休み1時間入れて,早いときは15時には終わっていたから,意外と率がよかった。 どこにもベテランと呼ばれる人はいるもので,このバイトには,まるで小林稔侍のように黙々と働くシャイなおじさんがいつもいた。雇い主は年に似合わぬ甲高い声で駄洒落を連発しては失笑をかっていたが,小林さん(思い出した。この人も小林という姓だったのだ)のまえでは,神妙になるから,かえってそちらのようすのほうが面白かった。 小林さんはまったくタフで,ガラスで指を切ろうものなら,すぐさま吸い付けの煙草をグイイっと押しつけ,何事もなかったように作業を続けた。 このバイト,友人たちが代わる代わる世話になったが,みんなが雇い主と小林さんの,どこも似てない声色を使い分けながら(誰の物真似か答えを聞くまで,誰一人判ったものがいない物真似を,繰り返し聞く辛さを通り越すと,それが面白かったりするのだから不思議だ),感心だけはしていた。 夕食はタバコ3本などと平気でいう喬史も,このバイトの世話になった。彼の貧困さは桁外れだったが,よく行きの交通費だけ持ってバイト先に通っていた。自称,特攻隊。 喬史は,もちろん昼飯代など持ち合わせていない。あるとき1時間近く遅刻してきた彼に,雇い主は「今日は昼飯おごりだな」と一言。平謝りで前借り(たった数時間の前借り!)して,昼飯代を払った。 そんなやりとりが,あたりまえのようだった。意外とむずかしいと思うのだが。 |
06月19日(木) 埼玉県立近代美術館 |
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の展覧会カタログは,見つけたときに買うと決めていた。バンドをやっていたころのこと。 なにせ,自称「美形バンド」。(ビジュアル系ではない。あえていえば美術部系。もうひとりのメンバーのあこがれはタンギーの絵。私はベーコンの法王。) 前山裕司氏がキュレイターだったころのカタログは,それはそれはすばらしい。少し前,どこかに移られたと聞いたが,気のせいか。 そんなふうにして古本屋を漁っていると思わぬ収穫がある。「DADA IN JAPAN・JAPANISCHE AVANGARDE 1920-1970」。マヴォからダリコまでが網羅されたカタログ。1983年にデュッセルドルフで行なわれた展覧会のものだ。地図や年表もついていて,テレホンショッピングのおまけ程度のお特感(こんな日本語あっただろうか?)。買っておいてよかった。 ところで,本日,Sound It!なるソフトを入手してしまった。遅きに失した感もあるが,とりあえず,スタジオで録音したテープをMP3に変換しなければならない。さらにAAC(公共広告機構ではない)にしてしまおうと目論んでいるので,仕事をもつ身,生まれてこのかた,徹夜をしたことがないほど,睡魔に弱い身としては(極端に不機嫌になる),はて,昔の日記をどれほど書けるか心もとない。 テープの本数はたかが知れているのだけど。 |
06月20日(金) 無料とフリー |
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平幹二郎の「俊寛」をパルコ劇場で観たことがある。相手役は太地喜和子。あまり評判よくはなかったと記憶している。 芝居の出来はさておき,ナマで観る(ああ生臭い)平幹二郎は,まあ……真っ当な存在感があった。異様な吸引力と,あっちへいったらヤバイなと直感させる匂いが拮抗する姿は比類ない,と思う。 芸能の道を進みたいという若者は,一度,平幹二郎自身を見るといい。普通なら,とても近づきたくなる世界ではないと思う。垣間見はしたいと疼くのは,よひょうと同じ空虚にいるからだろうか。 実は,理由あって,無料で観ることができたのだ。得した。 遡ること数年前,田島が原でフリーコンサートが開催された。 夏休みの終わり,恒例になっていたそのイベントに,P-MODELが出演すると聞きつけ,友人と目指す。暑い夏の終わりだった。 まだ,昼すぎ早くからコンサートは始まる。 せいぜいフォークソングに手拍子を打ち疲れ,涼をとろうと湖で泳ぎ,溺れ死ぬ。死をもってしか非日常を作り出せない。日本の音楽シーンの力量は,野外ではその程度だったころのこと。 非力なロックバンドの演奏は寂れた遊園地のBGMのように川辺に響く。 金属バットと音とともに,時折湧き上がる歓声が,場違いな寂寥感に拍車をかける。 そこに登場するのは,それぞれに空き缶を抱えた集団だ。 「このコンサートは無料ではありません。フリーコンサートです。みなさんの寄付で成り立っています。寄付されていないかたは,よろしくお願いします」 そういいながら,ひとりひとりに空き缶を突き出す。 私は,フリーコンサートと無料コンサートの違いをはじめて知る。払うものの姿は,ない。 後半はなかなかのラインナップだ。 町田町蔵と絶望一直線。レピッシュ。そしてP-MODEL。 暗くなればしめたもの。一気に飛ぶように本気で愛してしまう。 翌年,この企画は潰れた。 |
06月22日(日) Low-Fi |
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バンドの曲「蛇を踏む」のMP3,AAC化を終えた。 録音レベル,バランスが滅茶苦茶なので,エフェクトかけるのに難渋したが,ミキサーでギターエフェクタ使ってイコライジングしていたころに比べると,格段にやりやすい。 画像の作業はあまり行なわないので,こんなふうに音楽に使っている時には「Mac買って良かった」と思う。OSがJAGUARになってからは愛想も大変よく,「らしくない」という声を聞くが,私は意外と気に入っている。 LC575にインプロバイジングソフト「M」を突っ込まれ,曲の混沌に拍車をかけていたころを思い出す。あれはあれで面白かったが。 さて,MP3。 低音質でエンコーディングすると,音がかなり荒れるのは承知のうえ。エンコーダはLAMEを使ったりしていたが,シンセでアコースティック楽器の音色を横恋慕するようなイメージがあり,その貧しさを,ときどき反省する。 高音キンキン,痩せた中音域。全体がコーラスかかったようにもやっとする。その音質を楽しみたい。 海辺でラジオから流れるビーチボーイズに,井の頭公園の遊園地に流れるルパン3世に,心動かされるのは,屋台で焦げた醤油の匂いに呼び込まれるのと同じだろう。醤油の質ではないと思う。 アナログシンセは,もはやアコースティック楽器というのは定説。 |
06月24日(火) ブラザーと心の友 |
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その頃,喬史はマンガ「美味しんぼ」をネタにしたパロディづくりの所作に余念がなかった。 といっても,パロディにされるストーリーは,ただひとつ。兄弟で切り盛りするうまいラーメン屋の話だ。 麺打ちがうまい兄(弟だったっけ?)とスープづくりがうまい弟(同じく兄? どっちだって同じ)が仲たがいし,2つの店に分かれる。 (こうやって打っているだけで顔がほころんでしまう) だが,どちらの店も繁盛はしない。 山岡だったろうか。雑誌記者がいう。 「麺とスープが絡み合って,ラーメンのうまさを支えていたのだ」 唖然とする兄弟。ふたたび一緒にラーメン屋をやることになってハッピーエンド。 喬史の話は,パスタ屋バージョンや,お好み焼き屋バージョンなど,オリジナルに近ければ近いほど笑えたのは,なぜだろう。 同じころ,私が考えたのは「おとなドラエもん」。 サラリーマンになったのび太が,会社帰り,ジャイアンと回転寿司屋に入る。 ジャイアンは,強引にのび太のほうに絵皿をよこす。 泣きながら訴えるのび太に,ドラエもんが出したのは,絵皿を100円の皿に変える装置。(あまりのくだらなさに名前をつけられなかった) 翌日。のび太は,その装置をもって会社帰り,回転寿司屋に入る。絵皿ばかり食っても次々に100円の皿に早変わり。 オチは,もちろん,スイッチを反対にまわして,ぜんぶ絵皿になってしまうという正統派だ。 サラリーマンネタといえば,しりあがり寿先生だが,このおとなドラエもん。まさに「サラリーマンの魂」。「プロゴルフ幹事サル課長」に次いで,掲載してほしかった。 もっとも,バリエーション付けられそうなのだが,あまりのくだらなさに,その後は続かなかったが。 少し前,「おとなになったのび太くん」(のような)タイトルの本が出ていたが,こんな内容なのだろうか。 だったら読んでみたい。 |
06月25日(水) テクニック |
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ロバート・フリップの名言に「(プロのミュージシャンには)テクニックを捨て去るだけのイノセンスが必要」というのがある。 10数年前,キング・クリムゾンではなく,平沢進ソロライブで,そのことを実感した。 当時のドラマーは友田真吾。テクニックとセンスを兼ね備えて,なおかつ,いわゆるミュージシャンらしくないという理由で選ばれたそうだ。確かに田井中さんに比べると安定感は雲泥の差。 なにせ,Part2時代の田井中さんは,ライブの前半はパワープレイ,後半になると力が入らなくなるのか六角ドラムを多用しては顰蹙を買っていた。裏でハイハットが入る曲のバスドラは踏めないし。テクニックからみれば,いろいろ指摘されてしかたない点は多々あった。 もちろん,走る走る。同じくらい走る,ことぶき光のキーボードと早さを競っていたように聞こえる。 いい譬えではないが,ELPのカール・パーマーとキース・エマーソンのような関係といえなくもない。 なのに,そんなことはぜんぜん気にならないのだ。ファンも初手から,破綻のない演奏を聞きになどいってはいない。 ところが,友田ドラムは,旨さが先立ってしまい,破綻,言い換えるならば,暴力的な演奏を期待するファンには杓子定規すぎて,何とも面白くなかった。走ろうとすることぶきをアイコンタクトで制止するようすなど落胆もいいところだった。 イノセンスとは暴力的ともいえるのだなと感じた。 さて本家,ロバート・フリップはといえば,新譜を出しまくり,30年以上のキャリアと,60年代後半から70年代の黄金期に名曲がゾロゾロあるというのに,それらには目もくれず,ライブでは最近10年くらいの曲ばかり選曲する。 あげく,演奏できない難しい曲を作ってアルバムに入れ,ライブでは間違えて,やり直したりする。 自分たちで,調子がよくないと演奏できない曲をつくるプロって,別の意味で凄い。 テクニックを捨て去るどころか,捨て去る余裕もない曲をつくって演奏しようとするのだ。 紆余曲折あったものの,四半世紀,このバンドの中耳炎患者でよかったと,最近,そう思う。 |
06月26日(木) 未来 |
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友人たちと将来を語り合ったころ。(そんなころがあったのか???) ひとこと,「ヌードグラビアのポエム書き」といって,「何もそこまで,卑下せずに」と言われたことがある。 立ち読みした「SPA!」増刊に,このテーマについて座談会が載っていた。あまりの恥ずかしさにページを閉じ,本屋を後にした。コンビニで読めばいいものを。 「クイック・ジャパン」を立ち読みしていると,同じようなシチュエイションに陥った。坪内,小西,赤田という,あまり近付きたくない面々。 なのに出てくる雑誌が佐山一郎編集時の「スタジオ・ボイス」だとか,以前,この日記に書いた「Newパンチザウルス」だとか。赤田はダディ・グースの単行本出したことだけで頭さがるものの,自分のキャパシティが,こ奴らと同じようなところでしかなかったのかと情けなくなった。 「地球ロマン」や「マージナル」が出て来なかっただけでもよしとしなければならないのだろう。 なんだか,しまらない話だ。 |
06月27日(金) trigger happy tv |
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スチーマァ・トランクとまではいかないが,およそ手で抱えられない大きさの携帯電話を手に,画廊,デパート,ところかまわず大声で叫びまくるサラリーマン。街頭インタビューの途中で用事が気になって仕事を放り出す(ついでにマイクを相手に渡したまま)レポーター。 シリーズもののネタは繰り返しが一番。 動物着ぐるみはナンセンスの極み。 チャンネル4の制作というから,期待していたのだ。しかし,ドッキリカメラみたいなものだというから,不安だった。 まず,ドッキリカメラとの決定的な違いは,一本のネタの短さ。ドッキリカメラ的なつくりかたの「あざとさ」を今さらながらに感じた。 プロセスを見せ過ぎるのだ。 よもやNGなど放送してはならない。 ビル・エヴァンス・トリオじゃあるまいし。 |
06月28日(土) 洋泉社y新書 |
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当時,別冊宝島にお世話になった。 出来不出来はあったものの,たとえば「精神病を知る本」などは,ちょっと専門出版社じゃ企画しようがないスタンスで構成されており,びっくりした。 90年代に入ってからは,サブカルどっぷりで辟易もしたが,ときどきは買っていた。 JICCと宝島社に分裂し,(これって「ぱふ」と「ふゅーじょんぷろだくつ」のようなものなのだろうか),昔日の面影はないものの,未だにページを捲ることはある。 ここのところ洋泉社y新書ばかり買っている。何月だったかは,1冊をのぞいて,その月のラインナップほぼ制覇したときもある。 三つ子(じゃなかったけど)の魂 百(じゃないけど)までも。本づくりのスタンスが似ていると感じることがある。 最近出た「美しい日本の掲示板」(鈴木淳史)は,挟み込まれた正誤表だけでもぜひ,ご覧いただきたい。同シリーズで,表紙の著者名の誤植という前歴もあるのだが(それも同じ著者で)。 中川米造氏が70年代に「医学的認識の探究」というタイトルの著作を著した。その翌年,早速,改訂版として「医療的認識の探究」が出来された。 なんでも,「医学的……」に誤植が多いので正誤表を挟み込まねばならないことになったそうだが,正誤表の一番最初が「タイトル 医学的→医療的」だったとか。それではあまりにもひどいので改訂版としたと聞いたことがある。 |
06月30日(月) 絵が好きなら |
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「そんなに絵が好きなのに,君はなんで絵を描かないの」 あるとき野見山暁治に,そう云われたと福田和也が書いている。(en-taxi) 立ち読みしていて,この一文が目にとまり,つい買ってしまった。読みたかったのは吉田司の連載だけだったのだが。 どきっとした。 確かに,絵が好きだから絵を描いていた。音楽が好きだから音楽を演奏していた。あたりまえだった筈だ。 もちろん,パステルを買うまえに空き箱に米を詰め込むような,木炭デッサンのまえに食パンを2枚に切ってもらうような,他人の目を気にする癖はあったが,理由などいくらでも見つかった。 ここのところずっと,左の胸ポケットに入れたハンカチが,からだ全体のバランスを崩しているのではないかと気になるような,いいようのないもどかしさを感じていたが,やっと理由が見つかった。 まずは,メモリを足そう。(それでいいのか???) ちなみに野見山の問いに,福田和也は「絵について書いている」といっているが,これもまた難題。確かに,坂崎乙郎は絵を描かなかった筈だが,絵について書いた。しかし,書かれた文章が魅力的であるのは,実は,本人がタイトルに冠しているように,どこか「美術紀行」の領域にあるから,もしくは評伝だからではないかと思うことがある。 |
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